石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出文庫) 友達と100日100ブックカバーという、「本の紹介ごっこ」を、順々に楽しんでいます。同世代の人たちなのですが、予想していたよりずっと、思いがけない、知らない本が紹介されて驚いています。
先日、写真の好きな友達から藤原新也という写真家の「風のフリュ-ト」という写真集の紹介がありました。
なんとなくどこかで見たことか、聞いたことがあるような書名で、気になったのですが、いつどこで出会ったものやら、全くわかりませんでした。一方で、藤原新也という人の、ちょっとラジカルな空気を思い出して気にかかりました。
そんな日の偶然ですが、彼と石牟礼道子の対談「なみだふるはな」(河出文庫)がチッチキ夫人の本の山にあるのを見つけて読み始めました。
この文庫本は、2020年の3月の新刊ですが、元の単行本は2012年に出されています。その頃、職場で図書館の係をしていましたが、新しく入庫した本として出会い、ついでに読んだ記憶がありました。対談集ですから、読むのに苦労はいりません、今回は藤原新也の名に惹かれての読み直しです。
東北の震災があった2011年の6月に、3日がかりで話し合っている本です。二人の話の中には、ここで案内したいことがたくさんあります。当時84歳の石牟礼道子が子供の頃からの「水俣」という土地や「水俣病」の患者さんたちの思い出を語り、それを藤原新也が聞くという段取りの本です。
読んでいてスリリングなのは、石牟礼道子の話に登場する人物や風景に、藤原新也が「カメラ」越しに見続けてきたインドでの経験や、東北の震災で津波にすべてを飲み込まれた集落の様子や、とりわけ、福島の原子力発電所の事故の現場近くに暮らしていた人間の話が「コラボ」してゆくところです。
「水俣」と「福島」の悲惨の渦中に身を置いた二人の「語りあう」聲のひびきが「共鳴」してゆく内容には、「読みどころ」がたくさんあります。
対談も3日目になって、石牟礼道子が部屋で転ん大けがをした時の不思議な体験を語りはじめます。石牟礼
二年前、ここの入り口で倒れて大腿骨と腰椎がこんなになって。そこの扉の所で転んだんですよ。それから気絶したんでしょうね。二か月ばかり記憶がほとんどない。憶えがないんです。病院に行ったことも、手術をしたことも。回復期に入ってから、ところどころ思い出しますけれども。
森があって、それも太古の森ですけど、右側は海で、海風が吹いてくると、森の梢、木々や草たちが演奏されるんですよ、海風に。何ともいえない音の世界が・・・・
その音楽が。それが眠りに入るときも、目がさめるときも、何か思いついて夢想が始まるようなときには必ず、なるんです。演奏される。海風がふうっと吹いてきて。
それで、魂の秘境に行っているような、この世の成り立ちをずっと見ているような、そんな音楽が聞こえて。二か月半ぐらいつづきましたね。
藤原
二か月半は長いですね。極楽浄土じゃないですか(笑)
石牟礼
長かった。大変幸せでした。痛みなんか全然感じない。いまごろ痛みが出てきているんですけれどもね。その音楽は消えちゃった。あの音楽はよかったなと思って。入院している時ですけど。お見舞いのお客様が見えたりすると、ちゃんと応対していたそうです。でも覚えていない。
藤原
去年ですか?
石牟礼
一昨年です。
それがまあ、美しい音色でしてね。その音楽を再現できない。
藤原
でも、いい音楽だったなという記憶はあるんですね。
石牟礼
はい。いままで聞いたうちでいちばん印象的だったのは弦楽器の低音でしたが。日によって鳴り方が違うんです。海風を受けて梢で揺れる葉っぱの大きさとか形とか、一本一本ちがいますでしょう。梢が演奏されるときは高音でしたね。梢がいっせいに震えるときは。
藤原
ぼくの写真集に「風のフリュート」という写真集があるんです。アイルランドに行ったとき、西のアイルランドだと、すごい絶壁なんですね。土地も痩せていて、ごろた石をたくさん積み上げて風を遮って、風が来ないところでジャガイモとか耕している。その石積みが荒っぽいものだから、穴がたくさん空いているんですよ。風がピューと吹くでしょう。そうすると穴から、小さい穴から大きい穴から、音がフルートみたいに聞こえてくる。それを聞いて「風のフリュ-ト」というアイルランドの写真集を作ったんです。
石牟礼
石も鳴るでしょうね。
ありました。探し物が見つかりましたね。ぼくは藤原新也の「風のフリュート」にこの本で出会っていたのですね。
まあ、今回は、それが伝えたい案内というわけで、ここに引用した二人の会話については大幅に省略しています。
石牟礼道子が部屋で転んで、意識不明のまま手術したり、ベッドの上で人と会ったりして生活している話は、実はもっと長い話です。
その時、彼女がそこで聞いていた音楽の話も、まあ、もう、「この世」の話なのか、「あの世」の話なのか、ある種の神秘体験とでもいう印象の話です。しかし、かなり丁寧に語られていて、デタラメが語られているわけではありません。
巫女気質とでもいうのでしょうか。石牟礼道子の「意識の遊行」、シャーマンを思わせる体験は他では読めません。是非、お読みになられることをおすすめします。
その、この世とも、あの世とも分かちがたい音楽の話に呼応して藤原新也が語り始めた話が「風のフリュート」だったのです。
彼がアイルランドで聞いた「石」と「風」が奏でる音楽はそういう響きだったということなのです。
次は、やはり、「風のフリュート」を読まないわけにはいかないようですね。
追記 2023・12・21
この本について、池澤夏樹が「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」(作品社)の2012年4月26日に「座談の達人」と題してこういっています。
二人の座談の達人がそこにいて、ものすごくおもしろい、意味の深い話を交していて、幸運にも自分はその場に陪席しているという気分になる。(P371)
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