ダルデンヌ兄弟「その手に触れるまで」シネ・リーブル神戸 映画館を徘徊し始めて2年が過ぎました。相変わらず知らない映画監督の作品と出合い続けています。今回はダルデンヌ兄弟の作品「その手にふれるまで」でした。ベルギーの監督らしいのですが、彼らのフィルモグラフィーには興味をひかれていましたが、実際に作品を見るのは初めてでした。
中学生ぐらいの少年が、どうやら「コーラン」の虜になりつつあるようです。「コーラン」には家族以外の女性と触れることを禁じる戒律があるらしいのですが、学校のイネス先生が差しだす挨拶の握手の手を拒絶するあたりから、少年の現在が語られ始めたようです。
見ているぼくは、ただ、ただ、ハラハラし続け、意外にあっけない結末にも、さほどの驚きも感じないで、ただホッとしただけで見終わりました。
宗教的な原理主義に関して、イスラム教であろうがキリスト教であろうが、あるいは仏教や神道であろうが、信じるには信じるだけの理由が信仰対象にも、信じる主体にもあるに違いないし、そういうことが起こることはさほど珍しいことだとも思いません。
詩人で思想家の吉本隆明が「皇国少年」だったとか、彼が愛した宮沢賢治が「八紘一宇」を唱えた田中智学の国柱会の信者だったとか、他にも実在の人物が沢山いそうです。
この映画で、主人公アメッド君の「盲信」の契機は明らかではありませんが、そこから「テロル」へと突き進んでいく過程を見ながら、ハラハラはするものの、
そうなるべくしてなるのかなあ・・・
という詠嘆的な気分でした。少年院に入ろうが、年頃の女の子にキスされようが、部屋に帰ると歯ブラシの柄をとがらせて、チャンスをうかがい続けるのだろうなと思っているとそのとおりでした。
善悪や社会規範、家族関係の齟齬とかの問題ではなく、ある種の少年にとって「少年期」特有の「事件」として遭遇する問題だという感じが、ぼくの中にすでにありました。
「ある種の」とつけたのは、当たり前のことですが、誰もがそういう「事件」に遭遇するわけではないからです。
それが「少年」というものなのだという気分があって、それに合わせて映画を見ている感じです。
こんなふうに書くと、面白くなかったと取られるかもしれないのですが、実は、面白かったのです。まったく偶然なのですが、ぼくはこのタイプの少年と少女に出会ったことがあります。
40年前に仕事に就いたばかりの最初の卒業式の日ことでした。式も終わって準備室だったか、他に誰もいない部屋に、その少女はやって来ました。
「お世話になりました。先生がお書きになる小説を読みたいと思っています。」
「えっ?ぼく小説なんて書かないよ。」
「そうなんですか?どうか、お書きください。」
「いや、そんな才能ないし。で、あなた卒業後はどうするの?」
「布教です。」
「布教って、大学とかは?」
「行きません。O先生にはご心配をおかけしていますが、やはり、布教一筋で…」
握手して別れましたが、その後、音信もなく、一度も出会うことなく、40年経ちました。
もう一人は退職する年に出会った少年です。この映画の主人公に顔と体つきがとても似ていて思い出したのです。
「あのさ、答案、最後まで書いてくれる。」
「ああ、はい。」
「はい、じゃないでしょ。配点50点のところでやめているでしょ。」
「はあ。」
「はあ、じゃないでしょ。他の教科もそうなの?」
「はい。」
「なに、きっぱり言ってんのよ。高校にきて三年間ずっとなの?中学でも?入試は?」
「アッ、入試は書きました。最後まで。」
「なんだ、じゃあ、一度書いて見なさいよ。どんなもんか、興味あるし。授業中ボクと雑談ばっかりしてるから、迷惑だと思われてるかもしれないし。まあ、悪いのはボクかもしれないけど。」
この少年が入信していたのは宗教ではなくて、「量子力学」とかでした。興味を持ったぼくに解説しようとするのですが、ぼくの頭がついていかなくて、国語の時間にホワイト・ボードまで使った量子力学の解説会が始まって、他の生徒さんは唖然としているという、そういう少年でした。
大人のふりをしていえば、こういう「盲信」には社会制度や教育は無力ですし、カウンセリングも通用しないと思います。もちろん親には理解できません。自分で壁にぶつかるか、頭を打つかするほかないのではないでしょうか。
映画で壁から落ちたアメッド君を見て、思わず笑ってしまった。
「この監督はよくわかっていらっしゃる。」
アメッド君が今後どうなるか、誰にも分らないと思います。吉本隆明は「敗戦」でしたたか頭を打ったようですが、宮沢賢治は信じたまま「銀河鉄道の夜」や「永訣の朝」を残して去りました。ジョバンニの孤独や、「天上のアイスクリーム」という美しいイメージに「盲信」が影を落としていないとはなかなか言えないのではないでしょうか。
そういう意味で、この監督が「少年」の危なっかしさとイスラム原理主義のファナティズムとの「親和」性を描いている点は、鋭いと思いました。
しかし、ヨーロッパ的「寛容」と「不寛容」な異文化の対立の場所でこの少年の危険性を描いている点で、アメッド君がかわいそうだなと思いもしました。実際、危険な存在なんですけどね。そのあたりはよくわかりませんね。
監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ
製作 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ ドゥニ・フロイド
製作総指揮 デルフィーヌ・トムソン
脚本 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ
撮影 ブノワ・デルボー
美術 イゴール・ガブリエル
衣装 マイラ・ラメダン・レビ
編集 マリー=エレーヌ・ドゾ
エンディング曲演奏 アルフレッド・ブレンデル
キャスト
イディル・ベン・アディ(主人公アメッド)
オリビエ・ボノー(少年院教育官)
ミリエム・アケディウ(イネス先生)
ビクトリア・ブルック(教育農場の娘ルイーズ)
クレール・ボドソン(アメッドの母)
オスマン・ムーメン(導師)
2019年・84分・ベルギー・フランス合作
原題「Le jeune Ahmed」 英題「YOUNG AHMED」
2020・07・21シネリーブル神戸no56
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