幸村誠「プラネテス全4巻―1」(講談社) 7月の「マンガ便」に入っていました。2004年の新刊マンガなので古イッチャア古いマンガです。
「4巻完結やから、一気に読めて、わけがわからんようにならへんで。」
「キングダムやゴールデン・カムイに困ってんのはあんたやろ。で、宇宙もんなん?」
「ああ、宇宙兄弟とはちょっとちやうけど、オモロイで。一応SF。」
「ええー、絵とか、コマコマして、科学的で、めんどくさいんとちゃうの?」
「いや、そんなことないで。どっちかというと『愛と平和』やな。ジョンレノ・レノンや。」
というわけで、手を付けてみると、一晩で一気読みでした。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、アホですね。
このマンガの存在を知らなかったのは、ぼくだけで、世間の皆さんはご存じなのでしょうから、無駄かもしれませんが、ちょっと紹介しますね。
大きな筋としては同じ宇宙デブリ回収船、宇宙のごみ拾いというか、人工衛星の廃品回収業というか、そういう仕事をしている宇宙船に乗り込んでいる、三人のクルーの物語ですね。
デブリ衝突事故、デブリというのは「ごみ」のことですが、それで恋人を亡くしたロシア系のユーリ君。
地球に家族を置いて単身赴任している、瞬間湯沸かしキャラのアフリカ系の女性航宙士フィー。
そして、ハチこと、星野八郎太君の三人ですね。
第1巻から第4巻まで主人公は一応「ハチ」君で、自家用宇宙船を持ちたいという夢をかなえるための「努力と出会いの日々」がお話の流れを作っています。で、彼が出会う人や事件がプロットというわけです。彼は「単細胞系」の人間なので、このマンガの「ギャグ部門」を一手に引き受けているという役柄でもあります。
第1巻は表紙の色合いと絵がとても気に入りました。水中深く潜っているようにみえますが、宇宙空間ですね。背景に地球があるのでこうなるようです。
この巻の主題というか、テーマというかは恋人を失った「ユーリーの孤独」編というニュアンスなのですが、作者の描きたい「宇宙」の定義のような場面がクライマックスでした。
恋人を失った、失意のユーリー君が放浪の旅をしている途上、アメリカ大陸の荒野でネイティヴの老人と出合い、火を囲んだこんな場面があります。
「ただ、ぼくは…道しるべが欲しいんです。」
「あなたの今いるここがどこかご存知ですかな?」
「え?」
「ネイティブ・アメリカン自治区、アメリカ合衆国、北米大陸、地球…?」
「ふむ、そうでもあるがね」
「ここも宇宙だよ」
ついでに引用すると、作者の幸村誠がカヴァーの裏にこんなことを書いています
中国で紀元前2世紀ごろに書かれた淮南子という書物に次の句があります。
往古来今これを宙といい
四方上下これを宇という
これが宇宙の語源だそうです。過去も未来も、どこもかしこもひっくるめて「宇宙」。地球も宇宙。人間はみんな筋金入りの宇宙人です。
ね、まあ、宇宙ロケットとか、宇宙空間の描き方も面白いのですが、このマンガは単なる「宇宙冒険SFマンガ」ではなさそうです。ぼくたち読者の現実生活に「宇宙」という「空間」と「時間」の超越を持ち込んでみるとどうなるのか。そういうことを試みているようです。
そういう試みの人が、かつていましたね。そうですね、宮沢賢治です。
このマンガは「銀河鉄道の夜」にインスパイア―された作品で、その世界を引き継ごうとする野心を隠し持っているんじゃないかというのが、第1巻の感想ですね。もちろん当てずっぽうですが。
中々、イイと思うのですが、どうでしょう。
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