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想田和弘「精神0」元町映画館
想田和弘の「精神0」を元町映画館で見ました。満を持してというと、少々大げさですが、新コロちゃん騒動で、映画館が閉まったり、例えば、想田和弘のいくつかの「観察映画」がネットで配信されて、その中にこの映画があったりしました。十三の第七芸術劇場では一か月以上前から上映していることも知っていました。 観ようと思えば、何らかの手段はあったのですが、ぼくはこの映画を復活した元町映画館で観たかったので、じっと、辛抱していました。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ その間、彼が過去、新作を発表するたびに出版している数冊の想田本を読んでいました。「観察映画」という手法を監督自身がどう考えているかということが知りたかったのですが、本の感想は別に書きたいと思っています。 ただ、「観察映画」の肝は、「現場でのカメラワーク」と「編集」にあるらしいという、ここには詳しくは書ききれませんが、漠然とした納得はありました。 で、2020・09・01元町映画館、「精神0」が始まりました。診察室で山本医師が男性の患者の話を聞いています。 そこからタイトル・ロールに移り、講演会、診察室、自宅での食事、友人宅の訪問、山本家の墓参、最後はこのシーンでした。 墓参の帰り道、妻の足もとに気付かっって差しだされた夫の手に、おずおずと重ねられた二人の手のシーンです。ここで、スクリーンは暗転し、映画は終わりました。 想田和弘は一台のカメラで被写体を追います。上のチラシのブロック塀にさえぎられている医師と夫人の後ろ姿の写真は、映画の始まりの頃のシーンです。 介護施設の職員が芳子夫人を診療所の前に迎えに来ます。山本医師は仕事場の診療所へ、夫人は施設へと別れて歩き出しますが、カメラは一台です。別れ、別れになる二人を後ろから撮るほかありません。 映画はこのシーンから始まり、先ほどの、二人が手をつないだラストシーンで終ります。 穿った言い方になりますが、想田和弘のこの映画に対する、劇映画であれば「演出」ということになるかもしれませんが、「編集」の「骨組み」が明確に示されたシーンの組み合わせだと思いました。 この映画で、印象に残ったシーンの一つは友人宅への夫婦二人での訪問のシーンです。 芳子夫人の親友である女性が山本夫婦の生活と夫人の苦労話を、カメラを回している想田に語り掛けます。 痴呆症の夫人をいたわりながら、山本家の家庭生活の真実が、赤裸々に語られてゆきます。夫人は、少し顔を赤らめて幽かな笑いをうかべています。医師は友人の存在の貴重さを口にしますが、その時、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いたのです。 その瞬間、ぼくは、ここまでのシーンで数人の患者たちが山本医師に訴えかけていた診察室での「ことば」と、今、ここで、友人が語っていた「ことば」のギャップに唖然としました。 うまく言えませんが、一般的に言えば「言葉」の質のようなものに違いがあることは間違いないと思いました。「言葉」と意識の距離というべきかもしれません。そして、その違和感は、突如、鳴り響いた携帯電話の音によって喚起されたのです。 電話の音を響かせる「編集」で、想田は山本医師とその場との「距離」をあらわにしたのではないでしょうか。そこに想田和弘の「観察映画」としての意図が現れていると感じました。 女性の話を聞いているシーン、患者の訴えを聞いているシーン、芳子夫人の様子を見たり、話しかけたりしているシーン、そして、台所で困惑している自分自身を見て、独り言をつぶやいているシーン。 この映画で山本医師が登場するあらゆるシーンにおいて、ぼくが感じたのは山本昌知という精神科医のなかにある、とても意識的な距離感でした。 ぼくの思い込みかもしれませんが、精神科医という職業の特性かもしれません。友人に、ぼく自身の家族も世話になり、診察室にも同席したことのある精神科医がいますが、友人として私的に出会う場合にも、この距離感には覚えがあります。 それは、他者に限らず、人間を人間として見るための「間合い」の問題というべきかもしれません。 じつは、この映画で最も印象深く感じたシーンは、全編で二度挿入されるノラ猫のシーンでした。想田はこのシーンに限って、まあ、相手が相手なので当然といえば当然なのですが、かなりなロー・アングルでノラ猫を追います。 このカメラワークには「観察映画」の特質が現れていると思いますが、一方で、このノラ猫のシーン、単なる成り行きのように挿入される中学生たちのシーン、そして、前半の終わりにある、夫人のトイレの様子を覗き込むシーンにこそ、山本医師の「人間」と出会う「間合い」が、暗示的ですが、映し出されていたのではないでしょうか。 全てを受け入れながら、相手に対する意識が、自らの発言や行為をコントロールしている「精神科医」の態度がそこには示されていました。 それが、観察の結果、想田和弘によって「編集」的に描き出された山本医師という「人間」の姿だと感じました。 しかし、映画はそれでは終わらないのです。ボソボソと、死者にだか、妻にだか語りかけながら墓を洗い、団子を供え、マッチを忘れた言い訳を独り言のようにつぶやき、声を荒立てるでもなく差し伸べた手に、苦労と年齢が浮き出た妻の手が重ねられます。それが最後のシーンです。 見事な「精神0」のシーンが待っていました。涙が滲んで来るのは、しようがないことですね。 人間を根源的な「孤独」を「つながり」で描こうとしている想田和弘の新しい「観察映画」の傑作だと思いました。 監督 想田和弘 製作 柏木規与子 想田和弘 撮影 想田和弘 編集 想田和弘 キャスト 山本昌知 山本芳子 2020年・128分・日本・アメリカ合作 2020・09・01元町映画館 追記2020・09・02 想田和弘の「港町」・「THE BIG HOUSE」の感想はこちらからどうぞ。 ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.28 22:43:03
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