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カテゴリ:読書案内「くいしんぼう」
阿部了・阿部直美「おべんとうの時間(2)」(木楽社)
「おべんとうの時間(2)」(木楽舎)の表紙の女性は熊本県の山の中の村で働いている村田佐代子さんです。愛林館「村づくりスタッフ」という肩書がついていますが、看護師になってほしかった看護師の母親の希望を振り切って、山の仕事を職業に選んだ方です。 「愛林館」との出会いは、高校2年生の夏です。ここが主催する自然林の下草を刈るボランティアに参加しました。実は内心ビビってて1泊で帰るつもりが、参加者が面白い人ばっかりで3泊したんです。夜大人たちはお酒を飲んで、民族楽器を叩くんですよ。いろんな生き方があるんだなあって、思いました。 わたしは山の仕事の時から弁当作ってますけど、ご飯とおかず1品とかですかね。今日は、頑張っちゃいました。クレソンの胡麻和えは、よくやるんです。この辺は店がないから、一品持ち寄りで宴会するんですけど、「棚田で摘んできたよ」って言うと喜ばれて、私の料理無精もバレないのがいいんです。 若い人が自分で作った「おべんとう」を食べながら、なんというか、なんか、座り込んでこの本を読んでいる、まあ、老人のシマクマ君も元気が出そうな生き方をしておられるのがうれしいですね。 おにぎりを2個持ってきて、お客さんがいない時に隅っこの定位置に座って食べるんです。職人っていうのは、皆そうだと思うけど早いよ。あっという間。喉つまりしないように、湯を飲みながらね。白湯でいいんです。 3月11日の地震の時、お客さんはいたんです。ちょうどやり終わって、椅子を起こそうって時だったんです。すぐ逃げてくださいって帰ってもらって、女房を高台のお寺さんまで連れて行きました。私は消防団員ですから、まず水門を閉めて、その後ポンプ車で小学校へ行きました。 この一帯1000軒くらい建ってたと思います。何もかもが流された場所に戻って店やるなんて、馬鹿だなあってひとは思ったかもしれません。うちのは、反対だったんです。相談した6月は、まだ余震が凄かったしね。でも、この場所だったらすぐ裏が高台だし、20数年消防団員やってるし、何かあったらとにかくお客さんと自分の命は守るからって説得して、8月にプレハブを建てたんです。いま女房がやってる場所だって同じ田老なんだけど、なんかね、生まれ育ったここの空気を吸いたかったのかな。流されなかった高台の人たちが、宮古市街まで行って髪を切ってるって聞いてね、だったら俺が戻ろうって。 被災して、初めて、職人しててよかったなあって感じました。親に感謝ですよ。だって、親がやってなかったら、絶対にやらなかったもの。 散髪屋さんだった家に生まれて、親の仕事を仕方なく継いで、結婚して夫婦で働いて、大きな津波に何もかも流されて、津波の最中にも町の消防団でみんなの生活と命の世話をして、仮設住宅で暮らしながら、なにもなくなった町にプレハブのお店を出して、流されなかった近所の人たちが遠くまで行かなくても「頭はおれが刈ってやるよ。」って、また元の場所で仕事を始めた人が、「職人しててよかった。」とつぶやきながら、お店の隅で、大きな握り飯を頬張り白湯で流し込んでいます。 ふと思いついて「おべんとうの時間(1)~(4)」の投稿記事を修繕していますが、やっぱりお弁当って、なんかありますね。若いお母さんがたが、それぞれの子供さんたちに作っていらっしゃるのを見ても、立ったまま食べられるからといって、大きな海苔巻きの写真があったりするのを見ても、なんか、心が微妙な動き方をするのです。これは、なんなんでしょうね。「お弁当」を食べるって、なんか、人は一人だけで生きているんじゃないってことを、教えてくれるところがあるのかもしれませんね。 まあ、一人で握り飯を握ってお弁当にしている人も、きっといるわけで、一概にはいえませんが、なんか、そういう意味を感じます。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.05.13 09:39:55
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