クリストファー・ノーラン「ザ・ダークナイト」こたつシネマ 映画.comフォトギャラリー
ここの所、クリストファー・ノーランという監督のIMAX映画にかぶれています。いつの間にか利用できるようになっていた、「なんとかプライム」に、観てみたいこの監督の番組がありました。
ぼくの感じでは、テレビで「映画」を見ると、筋を追ってしまうというところがあります。なぜそうなるのか、IMAXとかと比べると、はっきりします。画面が小さいからでしょう。我が家のテレビ画像は、前世紀の遺物(?)ですからね。
で、クリストファー・ノーラン「ダークナイト」です。テレビで見ているとは思えないほど、引き込まれました。面白かったですね。
見終わって、ボー然としていると、離れて、ときどき覗き込んでいたチッチキ夫人が言いました。
「ジョーカーの映画がやったやろ。」
「うん、これで三人目のジョーカーを見たな。」
そうなんです。ぼくにとっては、この映画はジョーカーが主役の映画でしたね。もっとも、ジョーカーを見事に演じているヒース・レジャーという俳優さんが記憶に残ったのかというとそういうわけでもありません。で、今日はいろいろ面白かったのですが、ぼくなりの「比較ジョーカー論」のようなものを書いてみたいと思います。
昔、見たティム・バートン監督の「バットマン」に出ていたジャック・ニコルソンや、一年ほど前に見たトッド・フィリップスの「ジョーカー」のホアキン・フェニクスといった役者たちが、かなりくっきりと印象に残っているのに対して、今回のジョーカーは、今、顔を見てもわからないと思います。
なぜ、ぼくの中で、今回のジョーカーの印象は違うのでしょう。そこに、この映画の面白さがあると思いました。
ぼくにとってジャック・ニコルソンは、初めて見た「チャイナタウン」の探偵役以来、「イージー・ライダー」、「カッコ―の巣の上で」しかり、「シャイニング」しかり、年を取ってからの「恋愛小説家」に至るまで、
「狂気の人」
でした。だから、あの映画でニコルソンが演じた「ジョーカー」姿に、こんなものだろうと思いました。
画面に映るニコルソンのジョーカーは始めっから「狂気」なのであって、映画は
「狂気」が「悪」を演じる面白さ
を映し出していたように思います。
二人目のホアキン・フェニクスのジョーカーには感心しました。精神的な桎梏の世界から、一気に「悪」という「狂気」へと上りつめてゆく演技は見ものでした。
要するに、ニコルソンとフェニクスの二人は「狂気」をいかに演じるかをやっていたように思うのですが、この「ザ・ダークナイト」のジョーカーは、どこか違うと思いました。
この映画のヒース・レジャーという役者は「悪」そのものを純粋に演じる、いいかえれば、
「悪」の論理
を演じていればよかったのではないでしょうか。
一番象徴的なのは札束の山を燃やすシーンでした。このシーンはアメ・コミ的な「正義」対「悪」の構図が吹っ飛んでしまった瞬間だと思うのです。それは、ようするに映画が原作から離陸していった瞬間だったと思うのですが、この時にぼくに怖ろしいかったのは、ジョーカーの演技ではなくて、これを脚本に書き込んだノーラン兄弟でした。
ぼくは、
「悪」が「重奏低音」のように響き続けているこの映画
でなら、ジョーカーを「かわいらしい少年」にやらせればもっと怖かったんじゃないかと思いました。「悪」が、狂気などというものを必要としなくなった世界ですからね。
「悪」そのものに化身したヒース・レジャーも、中々な演技ったのですが、ぼくにははさほど印象に残りませんでした。多分、映画の論理に揺さぶられてしまっていたからでしょうね。
しかし、この映画が世に出て10年、現実の「悪」は、陳腐な「小悪」の顔をしながら、この映画のジョーカーを模倣し始めているように思うのですが、杞憂でしょうか。
テレビで見た直後、ジョーカーだったヒース・レジャーが、この映画とともに亡くなってしまっていることを知りました。なんだか、映画の中のような話で、ショックでした。
まあ、それにしてもこの監督は見せてくれますね。感心しました。
監督 クリストファー・ノーラン
原案 クリストファー・ノーラン デビッド・S・ゴイヤー
脚本 ジョナサン・ノーラン クリストファー・ノーラン
撮影 ウォーリー・フィスター
美術 ネイサン・クロウリー
編集 リー・スミス
衣装 リンディ・ヘミング
音楽 ハンス・ジマー ジェームズ・ニュートン・ハワード
キャスト
クリスチャン・ベール(ブルース・ウェイン・バットマン)
ヒース・レジャー(ジョーカー)
アーロン・エッカート(ハービー・デント検事・トゥーフェイス)
マイケル・ケイン(アルフレッド)
マギー・ギレンホール(レイチェル・ドーズ)
ゲイリー・オールドマン(ゴードン警部補)
モーガン・フリーマン(ルーシャス・フォックス)
モニーク・ガブリエラ・カーネン(ラミレス)
ロン・ディーン(ワーツ)
キリアン・マーフィ(スケアクロウ)
チン・ハン(ラウ)
ネスター・カーボネル(ゴッサム市長)
エリック・ロバーツ(マローニ)
2008年・152分・アメリカ 原題「The Dark Knight」
日本初公開:2008年8月9日
2020・09・12こたつシネマno3
追記2020・09・17
ここで追記というのも変なのですが、「ダークナイト」で「ノーラン兄弟」が描いて見せた「正義」と「悪」について、「悪」にはたしかに感心しました。しかし、この「悪」に対する「正義」の描き方は、これでよかったのでしょうか。
現実の社会で「正義」だと信じられている「正義」を問い直すことが、この映画では「テーマ」なのかもしれないと、当てずっぽうをかましながら、では、新たな「正義」の可能性はどこにあるのでしょうね。サンデルさんの「新しい正義の話をしよう」とかがウケたことがありますが、そのあたりも含めて、考え始めないとヤバい感じが、この映画を見た後、わだかまっているのですが。
ああ、ホアキン・フェニクスの「ジョーカー」の感想は、ここからどうぞ。
追記
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