エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ「スペシャルズ!」シネリーブル神戸 政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話
朝からシネリーブル、アートヴィレッジ、パルシネマ、どこで何を見るか悩んでいました。
シネリーブルには見たい映画が複数ありましたが、結局、選んだのは「スペシャルズ!」でした。話題作「最強の二人」の監督コンビの新作らしいのですが、「最強の二人」を見ていないので、判断の材料になりません。
結局、選んだ理由は
「1本見終わった後、もう一本見たらええやん。」
でした。ヒマですね(笑)。
躊躇した理由は「題名」でした。副題はいいのですが、
「スペシャルズ!」ってなんやねん?
という気分だったのでした。
ところが結果は大当たりでした。同じフランス映画で「レ・ミゼラブル」にノックアウトされたのが、今年の春でしたが、現代フランス映画に連続してぶっ飛ばされました。
実は、映画を選ぶときに、躊躇していたもう一つの理由は「自閉症」という言葉にありました。
ぼくは長い間、「普通」の学校教育の現場で暮らしてきました。「自閉症」という言葉が、その、教育現場でどんなふうに扱われてきたか、「学習障害」や「多動」といった言葉が「職場」でどういう意味を持ったのか、振り返ると気が滅入る事象が次々と浮かんできます。
「おたくのお子さんについて、ぼくは医者ではありませんから、特別に出来ることはありません。」
進級して、ぼくのクラスになったある生徒、自閉症と診断されていた少年の母親が、前担任の発言をそう伝えてくれました。そして、一言こう付け加えました。
「先生も、そうなんですか?」
その後の顛末はここには書きませんが、この映画が「そういう世界」を描いているのであれば・・・・という躊躇でした。
結果的に「スペシャルズ!」と題されたこの映画は「そういう世界」を描いていました。そして、見終わったぼくはぶっ飛ばされたのでした。
「現代」という社会では資格によって認定された「職業名」が、その責任範囲を明確にし、例えば、病院で有資格の医師が患者を診察、治療し、学校では教員が生徒と出合います。
この社会の常識では、この映画のような「無認可の自閉症支援施設」や、「資格を持たない支援員」は「危険」であったりするわけです。
しかし、それならば、高速道路の真ん中を、その場の「危険性」に気付きもせずに歩いている青年を、一体どういう「資格」の持ち主が救うことができるでしょうか。
それが、この映画が、見ているぼくに、真っ向から問いかけてきた問いでした。
問いは厳しいのですが、答えはシンプルでした。ぼくなりに言いかえますが、
「いきもの」である「人間」として、「人間」である「他者」と出合うということ
でした。
映画の中に、動物による療法の場面でしょうね、自閉症の子供たちに触られる馬の顔と、その馬の見ひらいた眸がアップされる印象的なシーンがあります。
もう一つのシーンは、コミカルといっていいかもしれないシーンです。主人公の一人、ブリュノが、仕事に出かけることが不安なジョセフ青年に5秒間ほど、肩を貸す場面です。額をブリュノの肩に、ジーっと押し付けたジョセフは、気が済むと走って仕事場に向かいます。
ジョセフはボタンがあれば押したくてたまらないし、好きになった人には頭を押し付けたくて辛抱できない青年です。そのために職業訓練に失敗してしまうのですが、その二つのシーンが語っていたのは、ブリュノは子供たちに触られる馬であり、馬はジョセフに肩を貸すブリュノだということでした。
自閉症児たちの生活の予測できない「危険」を避けるために、彼らを「安全」の中に閉じ込める考え方があります。その考え方は彼らから「自由」に生きることを奪います。
激しい発作を起こした少年に対して、「安全」確保のためのマットレスが大急ぎで床に引かれ、その上で少年が看護士二人がかりで抑え込まれるシーンがあります。「資格」を持った医療従事者の判断は的確で、敏速です。ベッドに寝かしつけても発作のおさまらない場合には、鎮静剤が処方され、マットレスを張り巡らせた部屋に「閉じ込める」ことになるのでしょう。
映画は無資格者の支援が自閉症の人間にとって、いかに危険であるか、容赦なく実相を映し続けます。仕事欲しさに「支援」者を目指す、貧困で、文盲で、癇癪持ちの黒人青年ディランの行動は、最も危険な「支援」の実例として映し出されているかのようです。
しかし、映画が問いかけていたのは、「危険」にさらされている自閉症の人々と、最も危険な「支援」者ディラン青年との
「出会い」の可能性
でした。
この可能性を否定してきた私たちの社会は自閉症の人々だけでなく、私たち自身をも「医者ではない」という、「資格」を盾にした言い訳の中に閉じこめてきたのではないでしょうか。
「私の子供は人間という『いきもの』なのですが、先生も人間という『いきもの』ですか?私の子供のそばに立ってもらえますか?」
あのときの母親が、ぼくに尋ねていたのはそういう問いだったのではないでしょうか。
そのことをまざまざと思い起こさせたこの映画は忘れられない作品になるに違いありません。
調べてみると、バンサン・カッセルのブリュノとレダ・カティブのマリク以外のキャストの多くは、自閉症支援施設で仕事をしている若者や自閉症児だそうです。
二人の名優が、「俳優」とか「演技」という「資格?」を脱ぎ捨てたかのような姿でスクリーンに登場するありさまは、なにげないシーンにドキュメンタリーの迫力を感じさせました。
ちなみに、フランスでの原題は「Hors normes」で直訳すれば「ノーマルの外」、「異常」でしょうか。映画全体が、何が「異常」なのかを問うていると見たぼくには、こっちのほうがいいですね。
エリック・トレダノ とオリビエ・ナカシュというの二人の監督に脱帽でした。こうなったら「最強の二人」を見ないわけにはいきませんね。
監督 エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ
製作 ニコラ・デュバル・アダソフスキ
脚本 エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ
撮影 アントワーヌ・サニエ
編集 ドリアン・リガール=アンスー
音楽 グランドブラザーズ
キャスト
バンサン・カッセル(ブリュノ)
レダ・カティブ(マリク)
エレーヌ・バンサン
ブライアン・ミヤルンダマ
アルバン・イワノフバンジャマン・ルシュール
マルコ・ロカテッリ
カトリーヌ・ムシェ
フレデリック・ピエロ
スリアン・ブラヒム
2019年・114分・フランス
原題「Hors normes」
2020・09・15シネリーブル神戸no66
ボタン押してね!