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カテゴリ:映画 アメリカの監督
ジョー・タルボット「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」シネリーブル 神戸
アメリカの若い監督の映画を続けて2本見ました。1本目がビン・リュー監督の「行き止まりの世界に生まれて」、2本目がこの映画「ザ・ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」です。 映画を見たあとですが、ブレイディ・みかこの「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)という本を読んでいて気付いたことがあります。 この映画の主人公「ジミー」は、大人になる前に「家」を失っているのですね。それは、雨風をしのぎ、家族と夕食をとり、オジーちゃんとテレビを見るという、人間にとって「生活」をするための、生きていくための「場所」、「ホームレス」という言葉の「ホーム」にあたる場所です。 その「家」を、二十歳を過ぎたばかりに見えるジミーは既に失っているのです。ぼくはこのことの意味を、映画を見ながら気づくことができませんでした。 彼が、何故、かつての「我が家」に忍び込むのか。かつて父親が彼に語った「家」の歴史が「ウソ」だったことがどういう意味をもつのか。 この映画は人生を始めたばかりの青年が、 打つ棄てられた人間としての「自分」 を発見する映画だったのです。ぼくが「思わせぶり」と感じたシーンは、ひょっとしたら、ぼくの見損じだったのかもしれません。 まあ、どこかで、もう一度出会うかもしれない日までの宿題ができたというわけです。いやはやなんとも、という気分ですが、しようがありませんね。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.14 22:42:45
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