「100days100bookcovers no31」(31日目)
山村修「狐が選んだ入門書」ちくま新書) 100daays 100bookcovers challengeの30日目に、DEGUTIさんが紹介された数冊の本のラインアップを見ながらぼくが印象深く感じたのは、彼女が「お仕事の現場」で必要を感じた結果の読書だったことです。
教科書や入試問題の読解の必要からでしょうか、アダム・スミス、ケインズ、ハイエクと経済学のビッグ・ネームが並び、一方に、この国の近代化の過程で、軍隊や政治家の集まりに限らず、ぼくたちがやっているこういう小さな集まりにいたるまで、人が集まるところでは必ず醸成される「空気」に対する関心が読書の領域を広げ、最後は、いま最も新しい作家のひとりが、新しい通貨「ビット・コイン」に果敢に挑んだ芥川賞受賞作「ニムロッド」。
いってみれば、この最も新しい「経済」小説にたどり着くさまは、少々大げさかもしれませんが「感嘆」するほかありませんでした。
「そういえば、経済学どころか、『ニムロッド』にもついていけなかったなあ・・・」
などとボンヤリ、なにを引いてこようかと思案六法にふけりながら、思いついたのが
「入門書」
でした。
昔の「お仕事の現場」では、教科書はともかく、入試問題なんかにかかずらわっていると突如でてくる新しい分野の評論とかに、お手上げという事態はしょっちゅうありました。
まあ、生徒が持ってくる現物に対するその場しのぎというのは、実は間に合いませんから、日ごろからの「山かけ」として、あれこれ興味のあるなしにかかわらず手に取るということはよくありました。
「地球温暖化」、「グローバリズム」、「フェミニズム」、「高齢化社会」、エトセトラ、エトセトラ…。
書き手によって「空振り」とか「敬遠気味のクソボール」というしかない文章に付き合わされると、その分野そのものに対する関心も失せてしまいます。出来れば打率を上げたい。
そこでお世話になるのは
「入門書」の「入門書」、「この本を読め!」
の類だったのですが、「100分でわかる」とか銘打たれると「バカか!」と思ってしまう性分に加えて、畏敬する柄谷行人なんかが「入門書は読むな」とかいったりしているのを目にしたりすると、思わず手がとまったりもします。
出来れば、あまりにも守備範囲が狭い高校生諸君にも勧められる「入門書」を紹介している内容で、という欲を掻いた気分もありましたが、そんな本は中々ありません。
「まあ、あるわけないわな」
と手がとまりかけた時に出会ったのがこの本でした。もう、十五年ほども昔のことです。
山村修「狐が選んだ入門書」(ちくま新書)です。
著者の山村修という人についてですが、御存知の方には必要ないでしょうが、少し紹介します。
彼は「日刊ゲンダイ」というタブロイド紙に1981年から20年以上にわたって、毎週水曜日、「狐の書評」という匿名書評を連載していた書評家でした。
2004年当時、「狐の書評」(本の雑誌社)に始まって「水曜日は狐の書評」(ちくま文庫)まで、洋泉社からも二冊、逐次、書籍化されていた人気の書評でしたが、新聞のコラム書評ということもあり、800字という長さの制約が、ぼくには少し食い足りない印象でしたが読み続けていました。
2006年の秋の終わり、その「狐」が正体をあらわしたのです。のちに朝日文庫に入った「禁煙の愉しみ」や、筑摩書房で文庫化された「遅読のすすめ」、趣味のお能の愉しみを綴った「花のほかには松ばかり」(檜書店)のエッセイストとして読んでいた山村修こそが、あの「狐」であることを明かしたこの本と偶然出会ったのでした。
というわけで、まあ、その当時のぼくにとっては衝撃の一冊がだったのですが、衝撃は一撃ではなかったのです。
ぼくはこの本を書店の棚で見つけて、
「えっ?おお、あの『狐』が本名をあかしている!」
と早速買い込んだのですが、2006年の10月に二刷だった新書のカヴァーには「2006年8月、死去」の文字があったのです。
死を覚悟した「狐」こと山村修が、青山学院大学図書館司書の勤めを早期退職し、「狐の書評」の集大成、山村修の最後の仕事として読者に残して逝ったのが、この、25冊の「入門書」の書評集だったのでした。
本書の「はじめに」において
「入門書こそが究極の読み物である。」
と筆を起こし、「私と狐と読書生活と」と題された「あとがき」では
「世の職業人でいちばん自由に読書できるのは、もしかすると、研究者でもなく、評論家でもなく、勤め人かもしれません。」
と、ぼくもその一人であったサラリーマン読者をもう一度励まし、
「本書に取り上げた二十五冊の入門書には、それぞれに質が異なるとはいえ、読み手を見知らぬ界域へと導く誘引力が、時には危ういともいえる魅力が、秘められています。」
と、筆をおいた書評家の「覚悟」が本書全体に漲っています。
「言葉の居ずまい」、「古典文芸への道しるべ」、「歴史への着地」、「思想史の組み立て」、「美術のインパルス」と5章立てで構成され、それぞれ5冊づつ書評されていますが、残念ながら、「科学」の分野はありません。
当時、この25冊が「ボンクラ教員」の、新たな指標となり、そのほとんどが生徒向けの「読書案内」のネタになったわけです。
取り上げられているラインアップは本書を手に取ってお探しいただくとして、ぼくにとっては藤井貞和「古典の読み方」(講談社学術文庫)、岡田英弘「世界史の誕生」(ちくま文庫)、岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」(岩波ジュニア新書)、辻惟雄「奇想の系譜」(ちくま学芸文庫)あたりが、今思えば、あきらかにその後の読書の流れを新たに作り出す、まさに
入門書!
として初登場、あるいは、再登場したわけです。
ちなみに「経済学」では、アダム・スミス、カール・マルクスの研究者で稀有なモラリストというべき内田義彦「社会認識の歩み」(岩波新書)にこの本で再会したのも思い出深いですね。
さて、本書に戻ります。
「だが、突然、私は読書のことを考えた。読書がもたらしてくれるあの微妙・繊細な幸福のことを。それで充分だった、歳月を経ても鈍ることのない喜び、あの洗練された、罰せられざる悪徳、エゴイストで清澄な、しかも永続する陶酔があれば、あれで充分だった。」(「慰め」ローガン・ピーアソール・スミス)
「はじめに」の中にこんな詩句の引用がありました。30年にわたるサラリーマン生活を「匿名書評家」として生きた「狐」の
白鳥の歌
が聞こえてくるようです。それぞれの書評はこの主旋律の、いわば、オブリガート(対旋律)だったということを感慨深く思う今日この頃です。
それではYMAMOTOさん、よろしくお願いします。(2020・07・19・SIMAKUMA)
追記2024・02・02
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