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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
川上泰徳「シャティーラの記憶」(岩波書店)
図書館の棚で偶然手にして、2020年の夏の間繰り返し借り出した本です。 「シャティーラ?なんか聞いたことがあるなあ。」 きっかけは、ふと、興味を持ったに過ぎない本でしたが、読み始めると一人、一人のインタビューに引き込まれながら、徐々にレバノンのベイルート近郊にあるシャティーラ・キャンプを焦点の真ん中にして、ゴラン高原、ヨルダン川、アッカ、テルアビブ、ガザ、といった地名が、パレスチナ難民キャンプ、中東戦争、サブラ・シャティーラの虐殺、オスロ合意、といった歴史的事件を想起させながら浮かんできます。 そして、レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエルというふうにパレスチナ地方の地図が少しずつ輪郭を得て拡がっていく気もするのですが、やはり、あのあたりというボンヤリとしたイメージが綺麗に拭われるわけではありませんでした。 著者の川上泰徳は、このインタビューをまとめた本が出来上がる経緯をこんなふうに記しています。 パレスチナの難民キャンプ「シャティーラ」はレバノンの首都ベイルートの繁華街ハラム通りから南東4キロ、タクシーを拾って渋滞が無ければ15分とかからない。 わたしは2015年から18年までの4年間に毎年1カ月から2カ月、延べ6カ月間、ベイルートに滞在し、シャティーラ・キャンプに足を運んだ。 1948年の第1次中東戦争で、イスラエルが独立し、70万から80万のアラブ人(パレスチナ人)が故郷を追われ、難民化した。パレスチナ人はそれを「ナクバ〈大厄災〉」と呼ぶ。 取材と言っても、一人でシャティ―ラ・キャンプに行き、日本人のジャーナリストだと名乗って「パレスチナのことを調べています。あなたの話を聞かせてください」と頼んで、インタビューを行うだけである。すべてのインタビューは私がアラビア語で行った。 誰であれ、話しをしてくれる人間を探してインタビューを続けた。当然ながら話を聞いて見ないと、相手がどのような体験をしたかは分からない。インタビューでは事件やテーマごとに証言者を探すのではなく、一人一人について子供の時から現在までの経験をたどる方法をとった。人によっては5回、6回と話を聞いた。 長年、朝日新聞で、パレスチナを担当してきた1956年生まれの記者である川上さんが、新聞社を離れ、一人のジャーナリストとして最初に選んだ仕事がこのインタビューだそうです。 ぼくはが最初に感じたのは、自分とほぼ同じ時代に学生であり、社会人として「日本」という国で生きてきた彼が、何故、「シャティーラ」にやって来たのか、「シャティーラ」とは、いったいどういう場所なのかという二つの疑問でした。 上に載せた、年表や地図を繰り返し見返しながら読み進めるうちに、二つの疑問が、少しずつ解けていくように感じました。 あなたはいまのシャティーラを見ている。もし、あなたが50年代のシャティーラに来ていたら、テントと小屋を見たでしょう。60年代に来たら石を積んだ壁のある家がありました。70年代には平屋の家が建ち、道路が通って、光がさし、風が吹き抜けていました。80年代に来たら、一面の破壊の跡です。90年代には家が建って、道路が狭くなっていくのを見たでしょう。そして、2000年代になれば、道路はなくなり、風は通らず、太陽も、空も見えない。人々の生活はますます困難となり、窒息寸前となっているのです。 NGO「子どもと青少年センター」の代表であるマフムード・アッバスという人の言葉です。1949年にパレスチナ難民キャンプとして設立されたシャティーラの風景の移り変わりが語られています。 その後、84年にシャティーラの虐殺ビデオを見た。その中に映っていた父親が私の母親や弟妹の写真を持っているのを見た。私は6日間の休暇をとってシャティーラに戻った。その時父から虐殺の話を聞いた。虐殺で母や弟妹が殺されたことを初めて知った。 1966年にシャティーラで生まれ、11歳で銃の打ち方を習い、戦闘に参加し、今、一人ぼっちで暮らしているアクラム・フセインという人の言葉です。家族や、自らの人生について語っているインタビューの一部です。 シャティーラの生活は大変です。電気もないし、水もない。水道から出るミスは塩水ですよ。電気不足はレバノン全体ですが、政府の電気は4時間の通電の後、4時間または6時間の停電を繰り返します。停電の時は民間の電気業者から電気を買っています。 月給800ドルの溶接工ムハンマドという人の妻サマルさんが口にした、今のシャティーラの暮らしです。 新聞記者としてニュースを伝えることを仕事にして生きてきた川上泰徳は、新聞に載る記事を、遠い他国のニュースとして読み流し、悪意も善意も感じない「無関心」な、ぼくのような人間たちに、そこで生きている「人間」の素顔を伝えることで、「同情」ではなく、「共感」が生まれることを願って、この仕事を始めたのではないでしょうか。 フト手に取るという、小さな関心から、読者になったぼくは、こんな本が存在することを紹介することから、ぼくの中に生まれた「共感の芽」を育てていきたいと思いました。一度、手に取っていただければ、うれしく思います。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.11.25 12:28:56
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