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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
100days100bookcovers no40(40日目)
出久根達郎 『謎の女 幽蘭 -古本屋「芳雅堂」の探索帳よりー』(筑摩書房) 前回紹介された別役実の『けものづくし』は、KOBAYASIさん曰く、――「知的」に「体系的」に、そしてブラックに、さらにアイロニカルに「デタラメ」だからおもしろい。要は、「フィクション」として読めばいいということ――なのだそう。 実は私も若い頃に読んだと思うのですが、内容を覚えていません。ひょっとするとこの記憶も捏造しているのか、あやしいですが。あの有名な別役実の作物を次のように感じたと思うのです。 「けったいやなあ。難しいわと頭をひなりながら読んでるのに、いつの間にか話ずらされてて、あらら、こんなん真面目に読んでたらあほみたいやん。どう読んだらええのかわからへんわあ。」と。 でも、あれから30年以上経つと、こちらがけったいなものになったようで、素直な作物では飽き足らず、役に立たない理屈ををひねくりまわしたり、皮肉や意地悪、諧謔、ナンセンスが小気味よく思えます。(焼きが回りましたね)近いうちに彼の作品を改めて読みたくなりました。すでにSIMAKUMAさんもYAMAMOTOさんもその状態なんですね。 さあ次はどこへつなげばいいのかと思って読んでいると、KOBAYASIさんの次のくだりにビビット来ました。 ――読み進めていくうちに、何度か「ファクトチェック」みたいなことをやることになった。結構「事実」も含まれている。「動物園」の項に出てくる、ドゥーガル・ディクソンとその著書『アフターマン』も、何だか作ったような名前だなと思って調べたら、実在の人物であり著書だった。―― 「ファクトチェーック」!!!これ。これ。これ。そういえば、私もファクトチェックしまくりながら読んだ本がありました。250ページもない本なのに、出てくる人物、事件、事象は、本当めかしたフィクションなのかどうかが気になって、読書を中断して手元のスマホでつい検索するということを繰り返して読むのに随分時間がかかった本です。これほどスマホやウィキペディアの便利さに感謝しながら読んだのは初めてでした。好事家好みの本だとは思いますが、骨董や古書にはまる人の気持ちも少し想像できました。それは次の本です。 『謎の女 幽蘭 -古本屋「芳雅堂」の探索帳よりー』出久根達郎 筑摩書房 作者 出久根達郎は「芳雅堂」(現在は閉店)という古書店主で直木賞作家だったことは有名ですが、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されているとは知りませんでした。 恥ずかしながらこの作家の書き物を一冊まるまる読んだのはこれが初めてでした。古本屋さんがこれほど物知りだということにも驚きました。 最初のページからいきなり、 「黒服に、厚紙を切り抜いて作った勲章をぶら下げて、直筆の「勅語」を新聞記者たちに売りつけていた。内閣が変るつど、「声明」を発表し、世の中の動向を「託宣」した」 「芦原(あしはら)将軍」の話題が出てきます。そこでまず検索をかけると、昭和12年に87歳で亡くなった実在の人物で、皇位僭称者、明治天皇巡行の折、「やあ、兄貴」と声をかけたこともある。などと出てきます。 私はこの人物のことは知らなかったのですが、家人に聞いたら「ああ、いたなあ。変な人。」と言うので、ご存じの方は多いのでしょうね。 また、タイトルロールの「謎の女 本荘幽蘭(ほんじょうゆうらん)」。これも検索すると、江刺昭子と安藤礼二共著の『この女を見よー本荘幽蘭と隠された近代日本』(ぷねうま舎)という書名が出てくるので、これも実在の人物らしい。 この二人に始まり、検索をかけながら読みました。ずっとこんな感じで、本が本を呼び、思わぬ発見と謎を生み、その謎がさらにあるかないのかわからない本を探し求める動機となる、「本の本」の話でした。 いささか常識にはずれた言動で世間に波風を立てるような人物を、世間は盛大にもてはやし、時に大いにけなして日ごろの鬱憤をはらして、飽きたらすっかり忘れてしまう。人の興味はそんな風に次から次へと移ってゆくけれど、古本屋は世間がほとんど忘れた頃をねらって、その人物ゆかりのものをどこからか持ち出してきて流通交換させる。値段のないものに途方もない値がつくこともある。その物を高価たらしめるのはその物の価値よりも、その物にまつわる事実の集積。そのために骨董屋や古本屋は鑑識眼はもちろんだが、膨大な事実の知識とその物証になる資料を持っているのでしょう。こういう世界の面白さにはまるとなかなか足を洗えなくなるだろうなとも思いました。 話はバブル直前の1980年ごろ。東京杉並区内の古本屋の主人が、客から聞いた「本荘幽蘭」という破天荒な人物に興味を持ち、「幽蘭の名が登場する本」を片っ端から集め続けるという大筋で、そこに古本屋仲間になる若者が家主の老女に惚れられたいざこざや、「幽蘭」に関する本を求める異母兄妹の秘められた関係や、その親戚の老舗料亭の衰退や、真贋のわからない古物の海を越えた取引などの話を絡めています。 しかし、これらの話はどうしても影が薄い。この本の主役はなんといっても本。本を浮かびあがらせるために人間が黒子として動いているように思われました。あとは古本屋の蘊蓄話も乙でした。 たとえば、 「古本屋はいわゆる「本屋学問」があればよい。うわべだけの学問である。本当の学問は客がする」 とか、 「古本屋の経験上、未刊といわれていた本が刊行されていた話がざらにある」 とか、 「古切手は使用済(消印あり)の方が価値が高い。当時の郵便事情がわかるので」とか。 いくつか「ファクトチェック」した事例をあげれば、 ・古本屋が「幽蘭」の興味を持つきっかけを与えた客、新劇俳優の松本克平(かっぺい)。芸名の由来や日本初の銀行強盗といわれる「赤色ギャング事件」で逮捕、釈放のいきさつ、特高刑事との関わり、古書業界で知らぬ者はない新劇関係書物の収集家。著書『私の古本大学 新劇人の読書彷徨』の中に「本荘幽蘭著『本荘幽蘭尼懺悔叢書』」の項目をあげて幽蘭を紹介している。「あらゆる職業を猫の眼のようにめまぐるしく渡り歩いて、常に自己宣伝を忘れなかった先端的女性であり、自ら何のこだわりもなく性の解放を実行した勇ましき女であり、さらにその自己懺悔を本に書くと宣伝して歩いた女性」と記載。同著に幽蘭の参考資料3点あげる。その一つ『女の裏おもて』青柳有美著(明治女学校で幽蘭の教師、島崎藤村の代講する) ・本荘幽蘭 明治12年生まれのモガ(モダンガール)の中の最初のモガともいうべき女性。神田でミルクホールを開いたり上野に幽蘭軒という店を出し幽蘭餅を売るが、長く続かない。女落語家となり英語交じりの漫談を語る。講談師となり浪速節をうなる。女優、舞台監督、活動写真の弁士、新聞記者、救世軍、芸者、外国人のための日本語教師。尼(本荘日蘭尼と改名)。演芸通信社経営などなど、人目につきそうな職業を片っ端から舐め歩き、行動範囲も、朝鮮、満州、清、台湾、シンガポールと極めて広かったとのこと。(『らく我記』高田義一郎著) 筆者のあとがきに、 古本探しは根気仕事だが、まことにスリリングで、サスペンスがあり、この味わいを知ると、病みつきになる。さながら推理小説を読む楽しさである。-(中略)-と書いている。 私が今回使いまくっているスマホも無駄が少なくありがたさを手放せなくなっているが、その代わり失ってしまったもののほうが大切なのかもしれないなと思いつつ筆をおきます。SIMAKUMAさん、おあとをよろしくお願いいたします。 追記 現代はどんな「幻の本」でも、その存在はインターネットで、即座に検索できる。スリルも、ドラマもない。何の醍醐味もない。-(中略)- 「バブル」は何もかも破壊した。土地だけでなく、人の心を毀した。 それは書物も同様である。ただ便利というだけで、電子書籍が誕生した。実体のない電子書籍には、人間くさいドラマは生ま幽蘭の姿を記す自伝『黙移』 ・宮武外骨「滑稽新聞」コレクターが多いので、その周辺からもたらされる資料からさまざまな発見があること。 ・夏目漱石と大町桂月の交流。大町桂月が肩入れしていた松本道別(まつもとちわき)(漱石の『野分』の中で電車事件を煽動した嫌疑で逮捕された人物で、主人公が演説会をしてその家族を援助したいという人物のモデル)という人物。服役中に健康法や呼吸法を編み出し、霊学を研究。のち、人間は人体放射能を発してして病気治癒に効果があると提唱。 ・松下大三郎が『国歌大観』を編集するとき女子編集委員募集の新聞広告を出したら、採用された人の中に「本荘幽蘭」という名前があった。しかし、別人だと思われる。あの『国歌大観』を編集し、松下文法と言われるほどの文法学者なのに、彼について書かれたものがほとんど見つからないのは不思議。やっと入手した『松下大三郎博士伝』の明治34年12月付記載。 ・秘書と言われる『医心方(いしんぼう)巻第二十八房内』が現れる。鴎外の『渋江抽斎』の中でこの書について触れられている。(私は『渋江抽斎』未読です。)隋唐期に成立した医学書百数十種を、平安時代に丹波康頼が抜粋して編述した三十巻の医書で、永観2(984)年に天皇に献上された。正親町天皇が治療の褒美に典薬頭(てんやくのかみ)半井(なからい)氏に下賜した。徳川時代になって、幕府は半井氏に献上を迫ったところ、焼失したとか、見当たらないとか言い逃れ続ける。しまいに幕府は献上の強要を諦め、写本を作るので原本を借りたいと下手に出たので、半井氏側もしかたなく、提出という顛末。ここからが『渋江抽斎』の仕事。16人で書写、校正13人、監督4人、医師2人総裁で3か月、総紙枚数1437枚、2874ページ。(石原明氏調査)木版で安政七年刊行。推定五〇〇部。幕府は半井氏に返還。しかし、その後、原本の半井家蔵本がどうなったのかは不明。明治以降、学者で原本を見た者は一人もいないという。今Wikipediaを見ると「この半井本は、1982年、同家より文化庁に買い上げがあり、1984年、国宝となっている。現在は東京国立博物館が所蔵している。 2018年10月16日に、国宝「医心方」のユネスコ「世界の記憶」登録を推進する議員連盟(会長:鴨下一郎)が設立され、ユネスコ「世界の記憶」への登録を目指している。」とありました。半井家は100年以上世間からひた隠しに隠すことができたということでしょうか?? で、第二十八巻は房内篇つまり「ベッドルームでの医術」ということで、より密かに扱われ、ますます人気を呼び、ゆえに偽物も出回っており、古本屋にとってはなかなか危ないしろものらしい。今は廃刊になってしまった学燈社の雑誌「国文学 解釈と鑑賞」でも、昭和39年10月臨時増刊号と、昭和42年4月臨時増刊号でこの書を扱ったときはずいぶん読者に歓迎された。 ・国宝盗難事件 東大寺三月堂不空羂索(ふくうけんじゃく)観音像の宝冠の、化物(けぶつ)阿弥陀銀像が昭和12年2月に盗まれた。国内では売れない。昭和18年9月に盗難物は回収され、犯人も逮捕された。当時の朝日新聞に記事は掲載されているが、詳細にはわからない。これほど有名な物は国内で流通させることはできないので、海外に持ち出すだろうし、そうなると組織なり、流通シンジケートを読者に想像させるような蘊蓄も配されている。 ・日本からの盗品をヨーロッパの城を倉庫がわりにして保管し保管料を取るビジネスや、保管料を回収できないとなれば、ほとぼりのさめたころに、城や爵位のある人物が所蔵していたと言って箔をつけて闇の中から明るみ出すこともある。また密かに、あるはずのない「紅葉山文庫蔵印」というを「印章」を作って偽の写本に押して、海外旅行にやってきた日本人に高く売ることができたという。バブル期の日本人はこういうものに踊らされたのか、日本橋三越であった「古代ペルシア秘宝展」の展示物は大半が偽物とわかった。事件の真相はどうなったのか。 ・美術史研究の第一人者が赤っ恥をかいた「春峯庵事件」 E・DEGUTI 2020・09・16 追記2024・02・16 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.23 15:34:11
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