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水木しげる・鶴見俊輔対談「ユートピアはどこに」
(「学ぶとは何だろうか」晶文社) 「この世界の片隅で」というマンガを読んでいると、主人公の「すずさん」に 「誰でも何か足らんぐらいで、この世界に居場所はそうそう無うなりゃあせんよ すずさん」 と「白木リンさん」が言うシーンがあって、その後、絵を描くことが好きな「すずさん」が爆弾で右手を失います。 「ペリリュー」という武田一義さんのマンガでは、マンガを描くことが大好きな主人公「田丸1等兵」が南の島で敗戦を迎え、数年後にようやく帰国するという物語が描かれています。 二つのマンガは、それぞれ戦後生まれのマンガ家の作品ですが、読みながら思い出しました。絵を描くことが好きな少年が、徴兵された戦地で左腕を失いながら、のちに「ゲゲゲの鬼太郎」で人気漫画家になった水木しげるです。 「のちに」などと簡単に書きましたが、水木しげるが人気漫画家になったのは1960年代の終わりごろです。「週刊少年マガジン」に「墓場の鬼太郎」で掲載していたマンガの題名を「ゲゲゲの鬼太郎」と変えた頃からのことで、アニメ・マンガとしてテレビにも登場しました。 こう書いているぼくは、当時、中学生でしたが、アニメ化された「鬼太郎」をはじめから見ていて、主題歌のさわりなら今でも歌える世代なのですが、テレビの人気者になるのは、作者水木しげるが復員してから20年以上の時が経過しています。 まあ、その水木しげるは2015年、93歳で亡くなっているのですが、その年に哲学者の鶴見俊輔も亡くなっています。二人は1922年生まれで亡くなった年もおなじですが、日本での最終学歴が高等小学校卒というのも同じです。 もっとも、鶴見俊輔はアメリカに渡り、ハーバード大学を19歳で卒業していますから、別格なのですが、水木しげるは武蔵野美術大学を中退しています。 その二人が1970年に対談している「ユートピアはどこに」という記事が「学ぶとは何だろうか」(晶文社)に載っています。考えてみると、50年前の会話です。 「あの戦争で水木さんが腕をやられたのは何年ですか。」 きりがないので、この辺りでやめますが、微妙に会話がちぐはぐなのが面白いですね。ぼくの世代だと、白衣を着て松葉づえをついて募金箱を首からぶら下げた「傷痍軍人」の姿を知っている人がいるかもしれません。子どもだったぼくには、不思議な光景の記憶ですが、水木しげるは、これを商売にして募金の全国行脚をしたこともあるそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.25 17:13:21
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