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「橋本治 最後の挨拶」追悼総特集「橋本治」(文藝別冊・KAWADEムック)
作家の橋本治が亡くなって2回目の1月29日がやって来ます。2020年の3月25日に書き始めました。新コロちゃん騒ぎに火が付き、「愚か」というしかいいようのない人物が、花見をめぐって嘘八百を垂れ流しながら、怪しげなマスクを、何百億もかけて配って人気取りをしようしていた世相にうんざりして、「そうだ橋本治なら何て言うだろう」と思い付いての所業でした。 「今日3月25日は橋本治の誕生日です。」なんていう書き出しでブログの記事を書き始めてから10カ月もの間、下書きコーナーで眠っていた記事ですが、とうとう2021年になってしまいました。 橋本治 最後の挨拶 小説「草薙剣」が野間文芸賞を受賞した際、受賞者の謝辞の挨拶として代読されたらしい原稿で、彼の絶筆ということになった文章です。 文中にある、明治の文豪のリライトというのは「黄金夜界」(中央公論新社)という作品ですが、尾崎紅葉の「金色夜叉」の翻案小説で、彼の死後出版されています。 橋本治という人は「桃尻娘」(講談社文庫)という怪作で、40年前に大学生だったぼくの前に登場した人ですが、晩年は「書きに書いた人」という印象がすべてです。 評論であろうが、小説であろうが、「金太郎あめ」のようにどこから舐めても、どこを齧っても橋本治でした。ぼくのようなファンにはそこがこたえられないところなのですが、「金太郎あめ」なんていうのは性に合わない人にはついていけない人だったかもしれません。 それにしても、受賞の記念品で「原稿用紙」を欲しがるなんていうのですから、まだまだ書くべきことや、書きたいことがあったに違いありません。 まあ、そこのところこそ読んでほしい一心で、こうして引用紹介しているわけです。 新コロちゃん騒ぎの昨今の世相に、彼なら何を言ったか、フト、そんなことを考える時がありますが、「ああ、終わった」とつぶやく橋本治はもういませんし、彼に代わる人は見当たらないのが現実です。 橋本治がいかに橋本治であったか、つくづくとさびしい今日この頃です。 今年も1月を迎え、月末には「モモンガ―忌」がやって来ますが、彼の作品を順番に「案内」したいという、ぼくの野望(?)も、このままだと夢で終わりそうですね。今年こそは何とかしよう。それが、2021年、シマクマ君の「年頭の誓い」ということで、今年もよろしくお願いいたします。 追記2022・02・01 橋本治案内の野望というか年頭の誓いは何一つ実現されないまま、2021年は暮れて、2022年の1月も行ってしまいました。 「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」 子供のころ、そんな言葉をおじいちゃんからだったでしょうか、聞かされたことがあって、納得したことを覚えていますが、「行く」は「去ぬる」だったかもしれません。 まあ、そんなことはともかく橋本治です。今年の1月の末にチッチキ夫人と橋本治の命日について話していたちょうどその頃、作家の保坂和志がフェイスブックとかツイッターで、橋本治のことに触れていて「ああ、彼も、あの頃橋本治だったんだ」と思い出したりしました。 興味のある方は保坂和志のブログに追悼文が載っていますから、そちらをお読みになればいいのですが、ぼくが、ちょっとドキドキしたところを引用してみます。 一九八四年、私は二十八歳になったところだった、橋本治はたった一人で男として生まれた男の子の生き方を切り拓いていた、私はあの頃、全身で橋本治に心酔してたからこういう風に言葉にできてたか、わからないがそういうことだ。 「ほら、こんなに広い!」 まあ、大した願望ではないかもしれないぼくの野望を今年こそ何とかしようということを、もう一度「年頭の誓い」にしようと、旧正月に思っていますが、さて、来年の1月は少しは笑えるのでしょうか。それより何より、2023年の1月を無事迎えられるように、なるべく人とは会わず、こそこそ暮らしたいと思います(笑いたいけど笑えない)。
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