|
カテゴリ:読書案内「日本語・教育」
山田航・穂村弘「世界中が夕焼け」(新潮社)(その3)
やっとのことでたどり着きました。 超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り 「日本文学盛衰史」の中で、ブルセラショップの店長さんだか何だかで、糊口をしのいでいる「石川啄木」君が読んだ歌ですね。最後の「曇り」だけ一文字空けになっています。 作者の高橋源一郎の自註に、歌人穂村弘の短歌と記されていて、探していました。 この短歌は「ラインマーカーズ」という歌集に入っていると、山田航の引用には記されていますが、穂村弘は1990年の第1歌集「シンジケート」(沖積舎)から始まり、1992年の第2歌集「ドライ ドライ アイス」(沖積舎)、2001年の第3歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」(小学館文庫)と、作品を歌集として発表していて、2003年の「ラインマーカーズ―The Best of Homura Hiroshi」(小学館)は、書名でもわかりますが、そこまでのベスト版ですね。 この「世界中が夕焼け」という本は2012年に出版されています。だからでしょうか、2018年に出版された第4歌集「水中翼船炎上中」(講談社)にもこの歌は載っています。 話しがそれますが、この第4歌集は構成に工夫があって、面白いつくりになっていますが、「若山牧水賞」なのだそうです。 さて、本書の話に戻ります。山田航の、この歌についての「鑑賞」で、ん?となったのは、まとめのところの、この感想でした。 穂村が啄木に自らを託す歌としてこれを選んだのは、「高すぎる自意識とプライド」という点こそが二人をつなぐ接点だと考えたからではないかと思う。一億年後も自分の名は世界に残っているような気がしてならないという素朴な実感もまた共有しているのだろうか。(山田航) で、穂村の自作解説の結びはこうでした。 誕生日の永久欠番、というなんかそういう感覚にちょっと惹かれるところがありますね。死んだあと幽霊として自分のところに出てきたガールフレンドの髪形がなんか中途半端とかね、そういう事に対するあこがれが何かありますね。 どうして、「ガールフレンドの幽霊」の髪形の話になっているのか、よく分かりません、前後にそういう歌が取り上げられているわけでもありません、が、啄木と、そして穂村自身の「自意識」には。直接コメントしていませんね。ちょっと残念だったのですが、ページを繰っていると、別の歌の話で出てきました。 メガネドラッグで抱きあえば硝子扉の外はかがやく風の屍この歌をめぐっての、山田航の解説はこうでした。 「シンジケート」の頃の作風をほうふつとさせる一首である。「メガネドラッ/グで抱きあえば」といういささかつまずき気味の句跨りになっており、ここにごこか歪みのある都市風景が託されている。 さて、穂村弘がどうこたえるのか。 〈ルービックキューブが蜂の巣に変わるように親友が情婦に変わる〉という歌を、別なところで「親友が恋人になる」に改めて発表したってありますが、これはやっぱり「親友が恋人になる」のほうがいい。そう思って推敲したんでしょう、忘れましたけど。 面白いですね、ぼくは、実作者の発言のほうに納得しました。まあ、「親友が恋人になる」のほうが、より禍々しいというあたりは、もう少し詳しく聞きたいところではあるのですが。 こうなると、作中にこれらの短歌を使用した作家の話も聞いてみたのですが、どこかでしゃべっていないかなあ。もし見つかれば、またお知らせします。 ということで、とりあえず「偽・啄木短歌」探索を終えたいと思います。ここまで読んでいただいてありがとうございました。ああ、この本自体は、穂村弘入門にはなかなかでした。 関心のある方、ぜひ、ご一読ください。じゃあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.24 23:48:07
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「日本語・教育」] カテゴリの最新記事
|