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週刊 マンガ便 吉田秋生「詩歌川百景(1)」(小学館)
チッチキ夫人が仕事から帰ってきて、食卓のテーブルにポンと置いていいました。 「先きに読んでも、いいわよ。吉田秋生の新作よ。」 吉田秋生の最新作「詩歌川百景」(小学館)の第1巻です。はい、さっそく読みました。裏表紙がこれですが、そこに、こう書かれています。 温泉旅館で働く青年飯田和樹。表表紙にも裏表紙にも、3人の登場人物が描かれています。飯田和樹君と、弟の守君、それから美少女小川妙ちゃんです。 この3人の周りには、和樹君の高校の同級生だった林田君と森野君、妙ちゃんのお母さんで、かつての町一番の美人だった絢子さん。エエっとそれから和樹君が働いている「あずまや」旅館の人たち、ああ、そうだ、妙ちゃんは「あずまや」の大女将のお孫さんで、高校三年生、受験生ですね。 とまあ、多士済々、いろいろな人たちが織りなす小さな温泉町の日常が描かれているわけですが、マンガの腰巻にはこう書かれています。 美しい川の流れる小さな温泉町。「何かを抱えて生きている」人たちの暮らしの「美しさ」ということを考えながら読んでいると、こんなシーンが出てきました。 脳梗塞から復帰して働き始めた大女将が、お正月の客室に飾った「白い寒椿」の一輪挿しの花をめぐって、妙ちゃんと和樹君が雪かきの途中で話す場面ですが、この次のページで妙ちゃんがこういいます。 あの白い寒椿はだんご下げの華やかさにも負けないくらい凛としていた。 このマンガの底に流れる「美しさ」が、こうして、妙ちゃんの言葉として語られるわけです。 吉田秋生独特の、厳しく孤独な二人の横顔のクローズアップが印象深いこのページが、第1巻のクライマックスだと思いますが、気になる方は実物で、お確かめください。 「メタモルフォーゼの縁側」というマンガで市野井雪さんというおばあさんが演じていた役回りを、ここでは妙ちゃんのおばあちゃん、大女将が演じています。彼女は、じっと辛抱しながら、前向きに進もうとしている二人にとって、包み込む船であり、舳先の灯りようです。 ぼくは、このマンガを読みながら、最近見た「この世界に残されて」という映画を見ていた時の気分を思い出しました。 映画を見ながら、画面の中で、じっと、耐えながら生きている、この人たちに、どうか、ここまでに、味わったに違いない悲しいことや辛いことが、もう一度起きたりしませんようにと祈りながら見ていたのです。 それではドラマは成り立たないと考えるのが普通ですが、果たして、劇的な出来事は、目を覆いたくなるような不幸や、拍手したくなるような歓喜の中にだけあるのでしようか。 雪の中に咲く「白い寒椿」の「美しさ」に気付く18歳の少女や、父親の違う弟と二人で生きる二十歳になったばかりの青年に、これ以上、苛酷な運命はどうかやって来ませんように。やはりぼくはそんなふうに祈りながらページを繰るのでした。 第1巻を読み終えましたが、吉田秋生のここまでの筆致は見事ですね。人々がそれぞれ、うつりゆく季節の時間のなかで「生きている」ことの「美しさ」を、淡々と描いて、明るい物語が始まったようです。新しい傑作が生まれる予感がしますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.01 10:06:01
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