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カテゴリ:映画「こたつシネマ」でお昼寝
クリント・イーストウッド「ハドソン川の奇跡」こたつシネマ
夕食を終えて、ウトウトしていると始まっていました。 「何?これ?」 「イーストウッドの映画よ。主役のトム・ハンクスは知ってるんやろ。」 「飛行機事故か?」 「うん、ニューヨークの真ん中に不時着すんねん。」 で、見始めて、最後まで見ました。 有名な映画らしいので、あれこれ言ってもしようがないのですが、ああ、そうだよなと納得したことが二つありました。 「事故」という出来事をコンピューターを駆使して再現し、現場で行動した機長や乗組員の判断が正しかったかどうかを追及していく「法廷もの」としてのサスペンスがドキドキさせるのですが、主人公による形勢逆転の決め手に「人間的判断」を持ってきたところが、当たり前と言えば当たり前なのですが、鮮やかでした。 「イーストウッドらしいな。」 まあ、イーストウッドなんてよく知らないのですが、そう思いました。さまざまな現実の経験には、経験する「人間」の人間としての要素が必ず介在すること、だからこそ「事故調査」という名の検証が必要なのですが、現実を解析する「機械的手段」に「人間的要素」を評価させることは、実際、かなり難しいわけです。 それは、こんな大きな事故や戦争の例を持ち出すまでもなく、コロナの現実に対処している、我々の社会が、よくも悪しくも直面していることだと思うのですが、当事者の「人間」としての側面は「数値」に置き換えられて、忘れられているような気がします。 そんなことを、ぼんやり考えながらエンド・ロールを見ていると、二つ目のカンドーがやって来ました。 「155というのは数字にすぎない」 「数字にすぎない」というクレジット見た瞬間、ぼくの中で、激しく動くものがあるような気がしました。そして、この感じを初めて経験したのは、阪神大震災の死者の数が毎日更新されていった日々だったことを思い出しました。 ニュースとして報じられる、増え続ける「数字」に対してなのか、客観でしかありえないアナウンサーの口調に対してだったのか、「そうじゃない、そうじゃないだろ。」そんな言葉にならない憤りのようなものが噴出してきた記憶です。 エンド・ロールが進むにしたがって、「ああ、イーストウッドも同じように感じたことがあったんだな」と、少し落ち着きました。 そういえば、この所、感染者や死者の人数が「数字」として「踊って」いる日常にくらしてますが、「そうじゃないだろ!」と言いたい気分ですね。 ともあれ、イーストウッドの率直さに共感した映画でした。ああ、今度は監督作を探すことになりそうです。 監督 クリント・イーストウッド 原作 チェズレイ・サレンバーガー ジェフリー・ザスロー 脚本 トッド・コマーニキ 撮影 トム・スターン 美術 ジェームズ・J・ムラカミ 衣装 デボラ・ホッパー 編集 ブル・マーレイ 音楽 クリスチャン・ジェイコブ ザ・ティアニー・サットン・バンド キャスト トム・ハンクス(チェズレイ・“サリー”・サレンバーガー機長) アーロン・エッカート(ジェフ・スカルズ・副操縦士) ローラ・リニー(ローリー・サレンバーガー機長の妻) クリス・バウアー(ラリー・ルーニー同僚) マイク・オマリー(チャールズ・ポーター・国家運輸安全委員会の調査員) アンナ・ガン(エリザベス・デイヴィス・国家運輸安全委員会の調査員) ジェイミー・シェリダン(ベン・エドワーズ・国家運輸安全委員会の調査員) 2016年製作/96分/G/アメリカ 原題:Sully 配給:ワーナー・ブラザース映画 2021・01・31こたつシネマ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.02 00:03:33
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