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カテゴリ:映画 フランスの監督
エリック・ロメール「緑の光線」元町映画館 元町映画館が企画に参加している「現代アートハウス入門」というシリーズの第4夜の上映に出かけました。今日はこのプログラムが狙いです。昨夜のトークの面白さに惹かれて、今日もやってきました。
今日は、ひいきの劇団「青年団」の脚本部にいたらしい深田晃司監督のレクチャーがありました。友人がブログで激賞している「淵に立つ」という映画の監督です。そういうわけで、興味はあるのですが、この人の作品は1本も見ていません。まず、本人のトークと出会ってしまったわけです。 映画はエリック・ロメール、最後のヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれることもあるらしい人で、ぼくでも名前だけは知っている監督ですが、この作品も含めて、たぶん、やっぱり1本も見たことのない監督の「緑の光線」という作品でした。 あちらこちらの美しい風景が満載の映画なのですが、実はデルフィーヌという女性、二十歳すぎでしょうか、パリで秘書か何かしているようですが、その女性が猛烈にしゃべりつづけた挙句、泣きだしてしまうという映画でした。 会話の場面が始まると、とにかく、しゃべるのですが、所謂、おしゃべりな女性というわけではありません。自分を取り巻いている他者に対しての違和感を「ことば」にしないではいられない様子なのですが、しゃべるハナから、相手には自分の言葉が通じていないことに苦しみ、泣き始める人物なのです。 映画は、この不安定な会話の場面を実にナイーブに活写しているのですが、見ているぼくは、少々「うんざり」してくるわけです。 普通に考えれば、他者とのコミュニケーションの不全に苦しむ自己などというものは、至極当然の現象なのだと言えるのですが、そういう、当然視する視点を与えられていないデルフィーヌは苦しみ続けるわけです。 そういう意味では、最近、何となく見かけがちな、過剰な自意識の登場人物たちが、他者世界とは微妙にずれていく「孤独?」を描く小説作品の世界と共通するものがあるかもしれません。言ってしまえば、今風な人物として、案外リアルなのかもしれません。 もっとも、ロメールには、まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、すべて見えているようで、「緑の光線」を実際に目にするラストシーンにも、単純にハッピーエンドというわけにもいかない「不安」を漂わせているわけです。 「緑の光線」というのはグリーンフラッシュとも、緑閃光(りょくせんこう)ともいわれる自然現象で、太陽が完全に沈む直前、または昇った直後に、緑色の光が一瞬輝いたように見える現象らしいのですが、映画ではジュール・ヴェルヌの小説を偶然の会話ネタで使って、通りすがりの主人公にその現象を教え、最終的には「幸運の象徴」として、これを見せるわけですが、そのあたりの筋運びには笑ってしまいます。 まあ、そのあたりの事情は深田晃司さんのトークでも出てきますから、そちらをお読みください。 で、今回の深田さんのレクチャーですが、彼がこの映画にほれ込んでいる理由に、「青年団」の口語演劇に共通する「会話」の描き方があるという話は面白かったですね。 ぼくにとっても、我々のリアルな会話というのが、一対一のコミュニケ―所ではなく、その「場」に投げ込まれたノイズの集合としてあることに気付かせてくれたのは「青年団」の芝居だったのですが、深田さんがそのことを意識して映画を作っている人だとおっしゃっているのには「オッ!」と思いました。そういう人がいるのですね。 彼が「映画」に引き込まれていった最初の映画が「ミツバチのささやき」だったという話にも、グッときましたね。最後に、舞台上でマフラーを取り忘れて話していたことを恥ずかしがっていらっしゃったのもよかったですね。 興味のある方はネットの「現代アートハウス入門」でご覧ください。ああ、それからこれがライン・アップです。 監督 エリック・ロメール製作 マルガレート・メネゴス 脚本 エリック・ロメール マリー・リビエール 撮影 ソフィー・マンティニュー 編集 マリア・ルイサ・ガルシア 音楽 ジャン=ルイ・バレロ マリー・リビエール(デルフィーヌ) リサ・エレディア 1985年製作/94分/フランス 原題「Le rayon vert」 2021・02・02・元町映画館no70 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.22 23:07:46
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