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石塚真一「BlueGiantExplorer 2」(小学館)
「BlueGiantExplorer」は宮本大君のジャズ修業アメリカ編ですが、第1巻でシアトルに上陸した宮本大君が、第2巻では、ホンダの中古車を手入れ、大陸横断の旅をスタートします。 オハイオ州ポートランドがアメリカ編の二つ目の舞台です。下の場面は、シアトルを出発した宮本大君が、ヒッチハイカーのジェイソン君を載せてポートランドに到着したシーンです。 ここまで、石塚真一の「BlueGiant」を読んできましたが、何となく気づいたことがあります。 このマンガは確かにジャズ・ミュージシャンとして、世界の頂点に立ちたいという少年の夢を描く、実に素朴な「ビルドゥングス・ロマン」なのですが、ここまで読者であるぼくを引っ張り続けてきたのは、宮本大自身のキャラクターや、音楽演奏の感動的な描き方も大切な要素なのですが、どうも、このマンガのいちばんの肝は、宮本大君が出会う脇役たちの描き方なのではないかということに思い当たったのです。 少年マンガには、ある意味、常道ですが、主人公を成長させていく、他者として登場するライヴァルたちがいます。たとえば、「初めの一歩」にしろ、「あしたのジョー」にしろ、ボクシング・マンガがおもしろいのは戦う「相手」がいるからだということはすぐにわかるわけです。しかし、ミュージシャンの演奏の成長に「敵」はいるのでしょうか。 かつて、石塚真一が描いた「岳」では、山が相手でした。技術的な成長以上に、山という「自然の厳しさ」が、ライヴァルとして立ちはだかり、それに向き合う主人公の「内面」の描き方がマンガを支えていたと思います。 「BlueGiant」でも、ここまで、「最高の音楽性」という高みを目指す主人公の描き方を「岳」とよく似ています。 しかし、音楽の「高み」は物差しで測ることが出来る「山」ではありません。新しく創り出し、新しく生まれるものです。人それぞれの「好き好き」を超えた「高み」はどうすれば描けるのでしょうか。 で、石塚は「人」を描くことにしたのだというのが、ぼくが、ふと、気付いたことでした。そう思って読み進めると、音楽関係者ではない、印象的な登場人物が何人か登場します。 上のシーンで登場したジェイソン君もその一人です。彼はスケート・ボードを楽しみ長旅を続ける、アメリカ文学でいう「ホーボー」と呼ぶべき流れ者ですが、彼との偶然の出会いは、宮本大に音楽の「外の世界」の広さを教えます。 この巻に出てくる、もう一人の、印象的な脇役は、ひょっとしたらヒロインになったかもと思わせるコーヒーショップの女性シェリル・ハントです。 毎朝一杯のコーヒーを飲むために立ち寄ったお店で出会った女性ですが、彼女の最後の言葉が素晴らしいのです。 「私とアナタは、凄く違うんだね。」 シェリルがいった言葉ですが、人と人の遠さを、互いの存在に対する敬意として描いた石塚真一をぼくは信用します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.28 21:45:40
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