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カテゴリ:映画 ソビエト・ロシアの監督
イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ共同監督
「DAU. ナターシャ」シネリーブル神戸 なんというか、風の便りにのって 「ナターシャはすごい。」 という評判が聞こえてきました。で、見に行ったわけです。久しぶりの18禁映画でした。 たしかに18禁映画でした。現代社会の常識では、この映画は「未成年」には見せたがらないでしょう。あけすけで過剰な「性的描写」が、欲望を充足させるためとしか思えない「愛を交わす(?)」シーンや拷問のシーンによって、延々と続きます。特に拷問シーンでは、何の躊躇もない精神的・肉体的暴力シーンが繰り返されます。 見ているぼくもまた、何とも言いようのない不安が充満する「恐怖」の部屋に閉じ込められている「感覚」に、落ち込んでいきます。それだけでも、この映画は見る価値があると思いましたが、確かに 「未成年」には・・・、 とも感じました。 しかし、この映画が映し出す社会は、果たして、現代社会とは無縁な「ディストピア」であり、登場人物たちは、その世界に偶然生まれてしまった人たちなのでしょうか。 この映画を、できれば「未成年」の目からは隠したいと痛切に思うのは、とりもなおさずナターシャ自身であり、ナターシャをナターシャたらしめた「社会」で生きる人たちだろうと思いますが、ナターシャに起こったことを、他人事といえる社会にぼくたちは住んでいるのでしょうか。 ぼくにとっては、そういう、自問をリアルに想起させる力のある作品だと感じました。 「人間はどうすれば壊れるか?」 普通、ぼくたちがなるべく避けて通るはずのこの「問い」を、現実化するために様々な努力を惜しまなかった政治権力が、「社会主義」という理想の衣をまとって存在したことを告知し、告発した映画だったと思います。まさに「壊されていく人間」の姿を実にリアルに、入念に描いていて、それを目の当たりにするのは、かなり「恐ろしく」、「ウットオシイ」体験でした。 が、本当に「恐ろしい」のは、「壊された人間」は、昨日までと同じように、今日からも、明るくまじめな人間として、日常に帰っていく姿を、鮮やかに描いたところだったと思います。 国家機密を扱う研究所の食堂で働く、気の強い、独り者の中年女性、ナターシャ役で 「壊される人間」 を見事に演じたナターリヤ・ベレジナヤという女優さんの演技には、ちょっと鬼気迫るものがありました。 DAUという、この映画の企画は「壊される人間」を「人名シリーズ」として、連作で描こうという計画らしいのですが、見た後の「暗さ」を想像すると、少々、気が重いのですが、次は、どんな職業のどんな人間が、どんなふうに壊されるのか、目が離せないシリーズになりそうですね。 映画を見て「暗い」気分を味わいたい人にはお勧めですが、50年以上も前のソビエト社会主義体制下の「全体主義」に対する告発映画が、本来、自由であるはずの「資本主義」体制下で生きている、ぼくたちの目の前で始まっている、新たな「全体主義」を、リアルに予感させる不気味さは、半端な「暗さ」ではないと思いました。 監督 イリヤ・フルジャノフスキー 共同監督 エカテリーナ・エルテリ 製作 セルゲイ・アドニエフ フィリップ・ボベール 制作総指揮 アレクサンドラ・チモフェーエワ スベトラーナ・ドラガエワ 脚本 イリヤ・フルジャノフスキー エカテリーナ・エルテリ 撮影 ユルゲン・ユルゲス 美術 デニス・シバノフ 衣装 イリーナ・ツベトコワ リュボーフィ・ミンガジチノワ エレーナ・ベクリツカヤ オ リガ・ベクリツカヤ 編集 ブランド・サミーム キャスト ナターリヤ・ベレジナヤ(ナターシャ) ウラジーミル・アジッポ(尋問官) オリガ・シカバルニャ(オーリャ) リュック・ビジェ(リュック) アレクセイ・ブリノフ(ブリノフ教授) 2020年・139分・R18+・ドイツ・ウクライナ・イギリス・ロシア合作 原題「DAU. Natasha」 2021・03・23-no27シネリーブル神戸no89 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.27 22:11:19
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