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「100days100bookcovers no53」(53日目)
鬼海弘雄『ぺるそな』(草思社) 前回YMAMOTOさんのチョイスされた樋口一葉は、懐かしい作家でした。今よりずっと多くの本を読んでいた中学生のころに、現代語に訳された一葉をひととおり読んだからです。けれども、あの当時の自分に、一葉の書いた機微や哀切が分かったはずはなく、今読むと、いろんなものがどっと押し寄せてくるような気がして、改めて読んでみたい気分が高まっています。 余談ですが、24年の人生の大半を貧困に苦しんだ一葉が五千円札の肖像画に選ばれたときは、皮肉な運命を感じて、できればそっとしていて欲しかったような、複雑な気持ちになりました。 さて、次は、地縁でリレーを繋ごうと思います。一葉が内職をしながら小説を書き始めた文京区本郷菊坂、駄菓子屋をしながら『たけくらべ』を書いた台東区下谷竜泉町。どちらにしようかと迷うほど所縁の人が多い土地ですが、今回は、竜泉に近い台東区浅草の浅草寺内のある壁を背景に、1973年から浅草を訪れる人物の定点撮影を続けた写真家・鬼海弘雄さんのこの写真集です。 『ぺるそな』鬼海弘雄(草思社) 書棚にある『ぺるそな』はサイン本で、2006年の3月、鬼海さんの写真展におじゃましたときにその場でサインをしていただいたものです。私はこのとき初めて鬼海弘雄という写真家を知り、同時に、鬼海弘雄さんご本人にお会いして会話をしました。写真を見ることは好きですが、自分は記憶代わりにスマホのカメラを使う程度、写真を語るような知識も感性も武器もありません。ただ、鬼海さんの人物写真は、これまで見たことがないような濃密さと、面妖さ、物語、そしてひそかなさびしさをたたえていて、目が離せなくなってしまったのです。 この写真展に誘ってくれたのは、いつもお世話になっている句会の人々でした。もともと鬼海さんと知り合いだったメンバーがいて、そのおかげで、人見知りな私でも、初対面の写真家と話をするという機会に恵まれたわけです。鬼海さんは、この本に先駆けて出版された同じ趣旨の豪華本『Persona』(草思社)で土門拳賞を受賞していました。 けれどもその数日後、さらに印象深いできごとがありました。句友と行った日は初日だったのか人が多く、ゆっくり写真を見ることができなかったので、改めてひとりで、もういちど写真展を訪ねました。仕事帰りの時間帯だったせいか、ほかには誰もおらず、鬼海さんがひとりで受付に座っておられました。もちろん私の顔を覚えておられるわけはないので、先日、句友と一緒に来た旨を話すと、鬼海さんは笑顔になり、くつろいだ雰囲気で迎えて下さいました。そして、こうおっしゃったのです。 「すみません、ちょっと留守番してもらってもいいですか?ぼく、朝から何も食べていないので、コンビニでおにぎりを買ってきます」 このとき、鬼海さんの中にある、あの句会に対する厚い信頼を、全身で感じました。たぶんただそれだけの理由で、親戚でも友だちでもない、まだ二度しか会ったことがない私に留守番を頼まれたのです。私もビックリしましたが、鬼海さんの頼みならきいてしまいます。しばらくしておにぎりとお茶を提げて帰ってきた鬼海さんは、受付に座ると、美味しそうにおにぎりを召し上がりました。無邪気といってもいいような姿に、でも、私は、目の前の写真との齟齬を感じることはありませんでした。奥まで見通しているようなまなざしで人や世界を見る人だから、この行動があるのだろうと思ったのです。 それからも何度か鬼海さんの写真展におじゃまして、ときには句会のメンバーとのお酒の席で鬼海さんの話を聞く機会がありました。その中で印象に残っている言葉が、たまたま『ぺるそな』のあとがきにありましたので、引用します。 「浅草にでかけると、境内の近くを三、四時間ほどうろついている。だが、実際にファインダーを覗くのはほんの十分にも満たないだろう。ほとんどの時間は、ただ待つことだ。鬼海さんは、このあとがきの中で「人が他人にもっと思いを馳せていたり、興味を持てば、功利的になる一方の社会の傾きが弛み、少しだけ生きやすくなる」のではないかと書いて、写真家として人を撮ることの意味を探りながら、「もっと人を好きになればいいのだと……。」と結んでいます。 鬼海さんには東京の街を撮った写真集や、放浪の果実として出来上がったインドやトルコの写真集もあります。どの写真集にも『ぺるそな』と同様、鬼海弘雄の写真だとすぐに分かる独特の世界があります。 それから、そう、鬼海さんの文章の素晴らしさも忘れてはいけません。以前、Web草思で連載されていたエッセイが『東京夢譚』という写真集にまとめて掲載されています。どの写真集にも少しずつエッセイが掲載されていますが、極端に言うと、「あとがき」だけでも読み物として高いクオリティだと思います。そこには、鬼海さんの発する静かな熱と、正直だけれど開けっぴろげではない含羞と、 「日常の時間の襞に潜む驚きやふしぎ」 があります。小さな灯が点るような温かさと、同時にきらりとさびしい光を放つ鬼海さんの文章を、私はときおり開いて読むのです。 最後にお顔を拝見したのはいつだったか。鬼海弘雄さんは今年の10月19日、亡くなりました。 それではKOBAYASIさん、よろしくお願い致します。(K・SODEOKA・2020年11月28日) 追記2024・03・17 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.22 23:21:19
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