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カテゴリ:映画 フランスの監督
ロベール・ブレッソン「田舎司祭の日記」神戸アートビレッジ 2020年の暮れだったでしょうか、「バルタザールどこへ行く」を久しぶりに見直す機会を作ってくれたのも神戸アート・ヴィレッジでした。
今回は、同じ映画館で、同じ監督ロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」をみました。「バルタザール」ではロバが主役でしたが、今回は北フランスの田舎の村に赴任した青年司祭の物語でした。 まあ、ロバに眼差しがあるとしてですが、ロバの眼差しが印象的だった「バルタザール」でしたが、この作品では司祭の眼差しに引き付けられました。 司祭の眼差しの先にあったのは「娘の家庭教師と不倫する伯爵の姿」、「回心した喜びを告げる伯爵夫人の手紙と突然の死」、「イノセントな笑顔の少女の悪魔のような裏切り」、「正直さゆえに排斥される田舎医師の孤独とその死」、「世俗とのなれ合いを示唆する上級司祭の思わせぶりな笑顔」、エトセトラでした。 神の不在を暗示するかのような、こうした現実に対して、青年司祭によって日々書き綴られる日記の文面が映し出され、読み上げるナレーションがあります。 日記の次の日の出来事が、翌日の司祭の目の前に映し出されます。おおむね、映画はこの繰り返しで、もちろん、司祭には見えないシーンもありますが、ぼくにとって面白かったのは、現実 ⇒ 内省 ⇒ 現実という順序で映し出されて主人公の表情でした。 主人公が司祭という役ですから、当然、「神の存在」とか「信仰の不可能性」とかが話題なのですが、ぼくには、若い主人公が理解を超える世間の「悪意」や「不条理」と遭遇し、苦悩とアイデンティティの危機に落ちっていく様子を、実に無表情に撮っているところが、「バルタザール」のロバの表情描写と共通していて、興味深く思えました。 この作品は、実は映像が紡ぎだす物語の世界の表象としてではなくて、映像と観客との間に生まれる「裂け目」をこそ意識して作られているのではないかというのが見ながら感じたことでした。 それは、映し出される映像を、見ているぼくの自由勝手に任せるというか、見ているぼくの中で司祭の表情や、ほかの登場人物の行為について、「自由?」に想像していく「場所」のようなものを、映画が作り出しているということです。あてずっぽうで、かつ、デタラメを承知で言えば、「作品の零度」ということが、かなり意識されているのではないかということでした。 1950年代に、こういう作品が作られていたことは、ロベール・ブレッソンという監督の才能と考え方に負うところが大きいのでしょうが、やはり驚くべきことのように感じました。 監督 ロベール・ブレッソン 原作 ジョルジュ・ベルナノス 脚本 ロベール・ブレッソン 撮影 レオンス=アンリ・ビュレル 音楽 ジャン=ジャック・グリューネンバルト キャスト クロード・レデュ ジャン・リビエール アルマン・ギベール ニコール・モーレイ ニコル・ラドラミル マリ=モニーク・アルケル 1951年・115分・フランス 原題「Journal d'un cure de campagne」 2021・06・21-no57・神戸アートビレッジ(no15) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.20 23:12:06
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