|
100days100bookcovers no58 (58日目)
寺田寅彦『柿の種』岩波文庫 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。 さて、YAMAMOTOさんから渡されたバトン、『あなたのために いのちを支えるスープ』は、辰巳芳子さんの言葉が読んでみたくて手元に置きたい1冊でしたが、リレーの段ではたと困りました。「料理の本」と言えばうちにあるのはかんたんなレシピ集ぐらい、辰巳芳子さんの著作も読んだことがないので、どんな付け筋があるのか、なかなか思いつきません。糸口を見つけるために、辰巳さんのWikipediaを見てみましたら、ふと目が留まったのは、辰巳家のご先祖が加賀藩の藩士だった、という項目でした。 ほう、士族だったのか。そのときふと、ひとつのエピソードが頭を過ぎりました。幕末の土佐藩で起こったある事件のことです。 土佐藩の上級武士(上士)と下級武士(郷士)がつまらないことでケンカになり、郷士の池田忠治郎が上士に斬り殺されてしまいました。忠治郎に同行していた同じ郷士の宇賀喜久馬が、殺された忠治郎の兄・池田寅之進の元に駆けつけ、激昂した寅之進がとって返して仇の上士を斬り殺してしまったため、事件は大ごとになり、結局、寅之進と喜久馬の2人が切腹をすることで決着しました。 このとき、宇賀喜久馬を介錯したのが喜久馬の実兄だった18歳の寺田利正、のちに寺田寅彦の父となった人物ですが、利正は、実弟の介錯をしたことで精神を病んだ、と言われています。寺田寅彦のことを考えると、このエピソードがどうしても浮かんでしまうのです。 のっけから物騒なエピソードですみません。むりくりで、ほとんど無関係と言っていいような繋がり方ですが、どうぞご寛恕を。 『柿の種』(寺田寅彦著、岩波文庫) この本を読んでみようと思ったきっかけは、ほんの数年前、『書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一著、平凡社ライブラリー)という書物の中の「丘の上の洋館――寺田寅彦」というエッセイを読んだことでした。その後、『柿の種』を読むかたわら、寅彦の評伝『寺田寅彦 妻たちの歳月』(山田一郎著)を読みました。人物に対する興味が先行してしまうのは私の悪癖ですが、おかげで、寅彦が生きた時代や家庭環境に、少しだけ詳しくなったのです。 寺田寅彦は、東京帝国大学理科大学の物理学教授でしたが、随筆家としても多くの書物を残しました。熊本の五高で夏目漱石に俳句の手ほどきを受けて以来、生涯漱石を師と仰ぎ、漱石の人となりについても数多く随筆を残しています。 寅彦の随筆は、つまり大学教授の書いた文章というわけですが、私は、天才的な文章家がたまたま大学教授になったのが「寺田寅彦」だと思っています。寅彦は、常人とは少し離れた境涯に浮かぶ「島」に住んでいるような人です。かつて自分のブログに書いた感想をそのまま書き写しますが、寅彦の文章は 「俳味なんていうスカスカしたものではない。観察から展開される思考は玄妙で、ときに面妖ですらある。そのうえ、ほんのりとさびしい」のです。 それはもちろん、持って生まれたギフトだったのでしょうが、上に書いたように父の身の上に起こった事件、生まれる前の家系に起こった悲劇が、寅彦の人生にまったく無関係だったとも思えません。寅彦はまた、生涯に三人の妻を娶っていますが、一人目、二人目の妻とは若くして死別しています。医療が満足ではなかった時代にはよくあることだったのでしょうが、若い頃から近しい死を何度も体験していることは、文章家寅彦にとって大きな影であるとともに、書くことへのアクセルでもあったのではなかろうかと、まったく根拠のない想像を巡らしてしまうのです。 でも、というか、だから、というべきか、寅彦の書いていることは不思議なほど時代を感じさせないものが多く、普遍的です。『柿の種』は「短章 その一」「短章 その二」からなっていますが、「その一」は友人の松根東洋城が主宰していた俳句誌「渋柿」に毎号寄せていた短文を集めたもので、気楽に思いついたことを書くというスタイルが自由な発想を開花させている文章、「その二」は科学者として感じること、社会の一員として生きることへの思考なども盛り込まれたもう少しよそ行きの文章になっていて、寅彦の視野の広さを感じます。 科学者らしく、災害についての言及も数多くあります。『天災と国防』という著作もありますが、その中には 「天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顚覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになる」 と書かれています(Wikipediaに教えてもらいました)。 「天災は忘れた頃にやってくる」 ということですね。 『柿の種』の文章も引きたいところですが、一部を引くより、その世界を楽しんでいただきたい本です。短文ばかりですし、〈青空文庫〉で簡単に読めますので、ご興味がある方はお読みいただければと思います。 ということで、ほんのさわりだけ。 「日常生活の世界と詩歌の世界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。」 の一文で始まる「短章 その一」の巻頭の文章は、ガラス板のむこうとこちらを行き来することについ て、暗喩を織り交ぜながら書かれているのですが、この喩えがなんとも意表を突く発想で、感心しながら読み進むと、最後に 「まれに、きわめてまれに、天の焔を取って来てこの境界のガラス板をすっかり溶かしてしまう人がある」 と結ばれます。この一文に、寅彦の資質が溢れているような気がして、何度読んでも痺れてしまいます。 それではKOBAYASIさん、お願い致します。(K・SODEOKA・2021・01・04) 追記2024・03・26 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.27 22:11:29
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「漱石・鴎外・露伴・龍之介・百閒・その他」] カテゴリの最新記事
|