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カテゴリ:映画 アメリカの監督
ジム・ジャームッシュ「デッドマン」シネ・リーブル神戸 懐かしのニール・ヤングの音楽が響いていて、若き日のジョニー・デップが汽車に乗っています。映画館に飾ってあって上の写真ですが、「ひょっとして!?」とは思うのですが、この青年が、我が家で人気の、あのジョニー・デップだということに確信が持てません。
彼が演じているのは、クリーブランド、(ああ、またクリーブランド!)から仕事を求めて「西部」にやって来た会計士です。 「会計士!?」 で、名前がウィリアム・ブレイク。 「ウィリアム・ブレイク!?」 その「会計士」のウィリアム・ブレイクが、なぜそうなるのか、そうなったのか、よくわからないまま「おたずね者」になってしまい、「おたずね者」のウィリアム・ブレイクの逃避行が始まって、その前に現れるのが、「いかにもそれらしい」ともいえるし、「なんだこいつは」ともいえるネイティブ・アメリカン、名前はノーボディ。そうして、彼が崇拝するのが、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイク! ここで、もう一度「ノーボディ!?」、「ウィリアム・ブレイク!?」 ノーボディとウィリアム・ブレイクの写真です。これを見直しても、やっぱり思うのです。ノーボディって誰で、ウィリアム・ブレイクを崇拝するってなんやねん?です。 そういうわけで、テンポがまるで違う西部劇でした。確かにピストルもぶっ放すし、馬にも乗ります。焚火して野宿もするし、おたずね者も出てきます。保安官も賞金稼ぎもやってきます。 「ウーンどうなんねん?!」 で、最後にはノーボディが、瀕死のウイリアム・ブレイクをカヌーにのせて「やすらぎの地?」へ送り出します。ウィリアム・ブレイクは、もう、かなり前から「デッドマン」だったような気もしますが、わかりません。 映画そのものには、わからないのに納得させる力があって、それってなんやろうという気持ちが残ります。 ジャームッシュが何を描こうとしていたのか、ボンヤリしていて、焦点が定まりません。あの感じかなって、思い出したのが藤井貞和という詩人の詩です。だって、「雪 nobody」って題なんです。こんな詩です。 雪 nobody 藤井貞和 詩を読み直して、でたらめなことを考えました。映画のウィリアム・ブレイクですが、彼はアメリカの西部の荒野でNobodyと出会って、しようがないからピストルを撃ったり、馬に乗ったり、海の向こうに何があるのか知らないけれど、最後は、カヌーに乗せられて海に出て行っってしまいます。ウィリアム・ブレイクである彼は、たぶん、最初からDead Manだったし、友だちはNobodyだけだったんです。 で、結局、帰る家もないし、帰る道もわからなかったし、だから、彼がNobodyと出会ったことはジャームッシュが映画に撮るしかなかったのでしょうね。映画にはアメリカが見えていたような気はするのですが、そこが、本当はどこなのかわかりませんでした。 さみしくて、不可解で、温かい映画でした。だって、友だちのNobodyだけは、ずっといてくれたし、見送ってくれたのですから。そう、Nobodyが、ずっと横にいてくれたんです。なんだか、そのアイロニーがすごい。やっぱりこの映画はジャームッシュに拍手!でした。 まあ、それにしても、何が言いたいのかわからない感想で申し訳ありません。要するに、わからなかったってことでしょうね。この監督の作品には、「浸る」しかない感じですね。まあ、それが実にいい気持ちなんですが。 監督 ジム・ジャームッシュ 製作 ディミートラ・J・マクブライド 脚本 ジム・ジャームッシュ 撮影 ロビー・ミュラー 美術 ボブ・ジンビッキ 編集 ジェイ・ラビノウィッツ 音楽 ニール・ヤング キャスト ジョニー・デップ(ウィリアム・ブレイク・会計士) ゲイリー・ファーマー(ノーボディ・ネイティブ・インディアン) ランス・ヘンリクセン(殺し屋) マイケル・ウィンコット(殺し屋) ユージン・バード(殺し屋) ミリー・アビタル(セル・ラッセル花売り娘) クリスピン・グローバー イギー・ポップ ビリー・ボブ・ソーントン ジャレッド・ハリス ガブリエル・バーン ジョン・ハート アルフレッド・モリーナ ロバート・ミッチャム 1995年・121分・PG12・アメリカ 原題「Dead Man」 2021・08・13‐no75シネ・リーブル神戸no118 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.05 20:36:50
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