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週刊 読書案内 茨木のり子「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書) ここのところ茨木のり子の詩を懐かしく読んでいて、この人の本で最初に読んだのがこの本だったことを思い出しました。
岩波ジュニア新書「詩のこころを読む」です。 今、手にしている本の奥付を見ると、初版が1979年で、1980年の11月に第7刷となっています。おそらくチッチキ夫人の棚にあった本です。「茨木のり子」や「谷川俊太郎」を、ぼく自身が、自分で購入した覚えがほとんどありません。みんな、同居人の本棚のお世話になって読みました。 この本も例にもれませんが、仕事柄もあるのでしょうね、かなりお世話になった記憶があります。まあ、いまさらのような本なのですが、読み返してみながら、どなたかが新しく手にとられても、やはり、面白さは生きているし、若いひとが「詩」について考えるための、率直な手立てとなるなにかを備えている本だと思いました。 あらためて私の好きな詩を、ためつすがめつ眺めてみよう、なぜ好きか、なぜ良いか、なぜ私のたからものなのか、それをできるかぎり検証してみよう、大事なコレクションのよってきたるところを、情熱をこめてるる語ろう、そしてそれが若い人たちにとって、詩の魅力にふれるきっかけにもなってくれれば、という願いで書かれています。(中略) 「生まれて」、「恋唄」、「生きるじたばた」、「峠」、「別れ」の5章立てで構成されていますが、それが茨木のり子さんの人生の「時間」のめぐり方です。 約50編の詩について、それぞれの作品がそれぞれの「時間」の中でうまれた「ことば」として読み解かれていて、彼女の率直でストレートな読み方が「若い人たち」に向けて、飾ることなく、すっと差し出されている1冊です。 「生まれて」と題された第1章の始まり、本書の巻頭に据えられている詩はこの詩でした。 かなしみ 谷川俊太郎 つづけて引用されるのが石川啄木のこの歌です。 不来方のお城のあとの草に臥てで、こんな解説が挟まれています。 ほんとうは色なんかついていない茫々とした宇宙の空間、それなのに真青にみえる果てしない空というもの ― 寝ころびながら見ていると、自分が母親のおなかのなかから生まれてきたというより「あの青い空の波の音が聞えるあたり」を通って、やってきたんだ!この地球の上に。そんな実感が強く来たらしい。 お気づきかと思いますが、「そんな実感が強く来たらしい」と解説されているのは「かなしみ」を10代で書いた谷川俊太郎です。 谷川俊太郎という詩人にとっての「青空」の意味と、詩を書いたり読んだする十代の少年や少女の「こころ」が、啄木の短歌の引用で繋げられて、最後にこんな引用です。 空の青さをみつめていると こんな感じで、15歳くらいの読者は一気に詩の世界に引き込まれていくはずなのですがどうなのでしょうね。ジュニア新書ということもあって、高校生にもよくすすめましたが、今読みなおしても、まあ、うまいものだと思います。 ついでなので、今回読み直して懐かしかった詩を引用しますね。一つ目は「恋唄」の章に出てきた黒田三郎の詩です。 賭け 黒田三郎 いや、ほんと、懐かしいですね。久しぶりに黒田三郎を読みました。彼の詩は男の子と女の子、どっちに受けたのでしょうね。で、もう一つが「峠」の章に引用されていた河上肇です。 旧い友人が新たに大臣になつたといふ知らせを読みながら この詩を読んで、今の若い人が「河上肇って?」と思って、彼の本に手を出したりすることは、もう二度とないのでしょうか。 実は、彼の文章の大半はネットの図書館、青空文庫で読めるのです。問題は「河上肇」という名前を思い出すかどうか、興味を持つかどうかですね。 まあ、「こんな本ありますが、いかがですか」と言って差し出すことぐらいはできるかなというのが、今回の案内の目的でもあるわけで、のんびり続けていこうと思っています。 それでは、また覗いてくださいね。バイバイ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.09 00:50:09
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