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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
週刊 読書案内 加賀乙彦「日本の10大小説」(ちくま学芸文庫・1996年刊
かつて、イギリスの作家サマセット・モームが「世界の十大小説」(岩波文庫)というエッセイで選んだ作品をご存知でしょうか。 ヘンリー・フィールディング「トム・ジョーンズ」(1749) と、まあ堂々たる10作ですが、1954年現在の選択なので世界の「近代文学ベスト10」というおもむきですが、今、成立年代を見直すと、ほとんどが、日本なら「江戸時代」の作品であることに、ちょっと驚きました。 まあ、日本人では亡くなって久しい博覧強記の批評家、篠田一士が「二十世紀の十大小説」、最近では、河出書房新社の「世界文学全集」を編集した池澤夏樹が「現代世界の十大小説」を選んでいますが、池澤のラインアップのなかには石牟礼道子の「苦海浄土」が入っていて話題になりました。 今日は、世界のじゃなくて加賀乙彦の「日本の10大小説」(ちくま学芸文庫)の案内です。 加賀乙彦は、もともとは精神科の医者で、フランスの精神病院を描いた「フランドルの冬」(新潮文庫)とか、死刑囚を描いた「宣告」(新潮文庫)で有名な作家です。本書をお読みになっていただければご理解いただけると思いますが、とてもオーソドックスな批評の書き手でもあります。 で、こちらが加賀乙彦流「日本の10大小説」というわけです。 「愛の不可能性」―夏目漱石『明暗』 有島武郎、武田泰淳、そして大岡昇平が選ばれているのがうれしいのですが、特に大岡昇平の「レイテ戦記」を、ノンフィクションの「戦記」としてではなく「小説」として選んでいる見識が光っていると思います。 第1章から10章まで、それぞれの章が、作家や作品の紹介にとどまらない、論拠が明確でオーソドックスな文芸批評であるところが、この本の優れているところで読みごたえがありますが、第9章、「レイテ戦記」については、こんなふうに語っています。 多くの戦記は体験者の記憶だけに依存したり、通り一遍の文献調査だけで書き上げられているが、そのような安易な記録法では、記憶違い、自己の正当化、他人への過小評価、出来事の誤解などの、錯誤や意図的操作が入り込んでくる。大岡昇平の言葉で言えば、「旧職業軍人の怠慢と粉飾された物語」になりがちなのである。彼は、既成の戦記を徹底的に批判し吟味し、日本側の膨大な資料だけでなく、アメリカ側の資料も広く渉猟して、実際の戦闘がどのように起こったかを、とことん突き詰める努力をした。例えば敗軍の参謀の手記には、自分の作戦の欠陥を軽くするために第一線の将士の戦いぶりの拙劣さを糾弾したり、アメリカの公刊戦史には、勝利を誇張するために、遭遇した日本軍の戦力を課題に記録する傾向があり、こういうウソを、大岡は、粘り強い読解と比較と推理とで見破る、事実を示そうとする。 この加賀乙彦の解説を読みながら気づいたことですが、「レイテ戦記」(中公文庫)を書き終えた大岡昇平は裁判における事実の認定をめぐる疑惑を描いた「事件」(新潮文庫)で推理作家協会賞を受賞しますが、戦場の「真実」にたどり着こうとした作家の苦闘を、「法廷小説」として推理小説化した傑作だったといっていいのではないでしょうか。 「レイテ戦記」は、お勧めするにはあまりにも長いので気が引けますが、「事件」のほうはすんなり読めていいかもしれません。 いや、今回は加賀乙彦の「宣告(上・中・下)」(新潮文庫)をお勧めするのが筋かな。いや、これはやっぱり長すぎるかな?(笑) 追記2023・01・17 加賀乙彦さんの訃報をネット上に見つけました。2023年、1月12日、93歳だったそうです。このブログでは、手に取りやすい「日本の10大小説」(ちくま学芸文庫)を案内していますが、小説作品は「フランドルの冬(上・下)」(新潮文庫)以来、精神科医であったお仕事での経験や、陸軍幼年学校での体験をもとにした、重厚で誠実な印象の作風で、どこかで読み直したいと思っている作家でした。 訃報を知ったのが、偶然ですが、1月17日でしたが、神戸の地震があった時、同じ精神科の医師である中井久夫さんたちの現地での奮闘を支援し続けた医師のお名前の中に加賀乙彦、本名小木貞孝さんのお名前を、中井久夫さんのどの著書であったかよく覚えていませんが、見つけたことを印象深く覚えています。ご冥福を祈ります。 それにしても、また、一人いなくなった。そんな喪失感が続く今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.01.18 10:56:38
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