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カテゴリ:週刊マンガ便「コミック」
週刊 読書案内 四方田犬彦「白土三平論」(作品社) マンガ家の白土三平さんが、今秋、2021年10月8日になくなったというニュースが流れました。
あやふやな記憶ですが、その昔「少年」という月刊漫画誌があって、その雑誌で「サスケ」を読んで以来、週刊少年マガジンの「ワタリ」、週刊少年サンデーの「カムイ外伝」と、子供時代に読んだ覚えがあります。 傑作の誉れ高い「忍者武芸帳 影丸伝」や「カムイ伝」を読んだのは、小学館文庫で文庫化された後、ぼく自身、いい大人になってからですが、懐かしいマンガです。 もう一つ思い出したのがこの本です。それは「マンガ研究者」を自称する四方田犬彦の「白土三平論」(作品社)です。 微塵隠れの術を本気で試してみようと思った。一九六三年の秋、十歳のときのことである。月刊雑誌「少年」に連載されている忍者漫画「サスケ」(一九六一~一九六六)のなかで、主人公の少年が努力に努力を重ねてついに成功するこの忍術を、自分の手で実験してみようと決心したのである。(「はじめに」) まあ、なんというか、ありがちな書き出しで、少年時代の忍者修業の顛末が懐かしく書かれています。一つ違いの同世代としては「ほんとかよ?!」とまゆに唾をつけたい気もしますが、「忍者ごっこ」が、少年時代の思い出として、それなりのリアリティを感じさせる時代であったことは事実です。 本書が出版されたのは2004年ですから、忍者少年四方田犬彦君は、40年後に、自らの忍術の師「白土三平」について、父岡本唐貴の紹介に始まり、出生から貸本マンガ家としての出発、少年漫画誌での活躍をへて、2004年現在に至る伝記的事実、作風や社会的評価の変遷、加えて、作品そのものの「マンガ史」を越えた、芸術的価値の主張に至るまで、腰巻にある通り「壮大なオマージュ」として読み応えのあるモノグラフを完成させたわけですから、忍者ごっこを眉唾だなどとからかうのは失礼でしょうね。 なんといっても、少年時代から40年間、白土作品を端から端まで読み続けてきたらしいところが四方田犬彦らしいのですね。 ぼくたちの世代が読んできた、戦後日本の「マンガ」は手塚治虫を抜きには語れないということはよく言われますが、一方に絵柄も作風も対極的に見える白土三平を据えた視点のとり方が、いかにも四方田犬彦の面目躍如というべきところです。 読みながら本書に底流しているのは60年代に「革命的ルンペンプロレタリアート」を描いたと持ち上げ、風が変わったかのように打ち捨てた風潮から、漫画家白土三平を取り戻したいという意図だと感じたのですが、同世代の読者として、最も強く共感したのはそこだったかもしれませんね。 亡くなった白土三平さんが1932年生まれで、88歳だったと知り、1928年生まれの手塚治虫が1988年に60歳で亡くなったことを思い出しました。手塚治虫の方が5歳年長だったことに、なぜか不思議な気がしました。 戦後の昭和、子供時代を思い浮かべる人が、また一人なくなりました。でも、案外お若い方だったんだなって思いました。 それは、そうと、四方田犬彦さんは元気なのでしょうか。最近お名前を聞きませんが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.03 10:57:15
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