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カテゴリ:映画「こたつシネマ」でお昼寝
ウォシャウスキー兄弟「マトリックス リローデッド」こたつシネマ
今は2021年の年の瀬ですが、ちょうど劇場公開されている「マトリックス レザレクションズ」という映画が気になっています。気にはなっているのですが、そもそも、やたら評判のいいらしい「マトリックス」という最初の作品も、そのあとの二つの作品も、全く見ていないわけで、その映画が「SFかな?」とか、まず、言葉がよくわからないのですが、「サイバーパンクかな?」とか、「未来世界ものかな?」というくらいしか見当がつきません。 「どうしようかなあ・・」 そう思って逡巡していたのですが、クリスマスの夜に目的もなくTVをつけるとそこでやってました。 「マトリックス リローデッド」です。 どうも「マトリックス」の続編、第2作らしいですね。せっかくのチャンスですから、これは見ないわけにはいかないと見始めました。 ボンヤリ見ていて、ふと、「なんでこうなるの?」という感じで映像がそのようになるということの意味を不思議に思いはじめると、なんだかとてもめんどくさい気分になり始めました。で、しばらくして「ああ、これってどこでもドアやな。」というふうな納得がやってきました。要するにドラえもんあたりの理屈(?)なのだと、ようやく落ち着いて座り直しました。 結局最後までボンヤリ見終えたのですが、不思議だと思ったのは、物語の舞台は「未来」に設定されているのですが、人間同士というか、まあ、アンドロイド(?)とか、レプリカント(?)とかいろいろあるようなのですが、とりあえず「人間」の外見の登場人物たちの「心理」というか「意識」は案外「今風」というか、ヘタをすると、もっと古い「物語」なところでした。 で、その古い意識による行動がストーリーを牽引しているわけで、それじゃあ、どんな「あたらしい物語」が可能なのか、と思っちゃうわけですよね。 昔、「サルの惑星」を初めて見たときに、結局「サル」の姿をした人間の話であることを不思議に思ったことを思い出しましたが、この映画のなかでも「機械」と呼ばれている「敵」についても、たとえば、裸になると体のあちこちボタンのようなものが取り付けられているネオ(キアヌ・リーブス)という、主人公(?)についても、そのボタンの仕組みはよく分かりませんが、本質は、ただの人間というか、見ているこっち側から十分理解が届く存在で、べつに新しい感じはしませんでした。 SF的な作品に対する、マア、ないものねだりというか、むしろ見る側が一歩引いている感じの感想なのですが、そう思って見てしまうと書き割りだけが大仰に未来的な「マンガ」という印象でした。 ここで「マンガ」といいましたが、必ずしも貶しめているわけではありません。ボクはかなり「マンガ」が好きなほうです。ある種のシンプルさによるデフォルメが、マンガの持ち味の一つだと思いますが、この映画も、とてもシンプルだと感じました。 まあ、とは言いながら、映像の動きのなかには、なぜそうなるのかわからないこともたくさんありました。いってしまえばドラえもんを読む小学生は「どこでもドア」の仕組みを考え込んだりしないのですが、そばでのぞき込んでいるおじいさんは首を傾げてしまう、まあ、そんな感じです。 結局、新しい「レザレクションズ」という映画を見ようという意欲はあまり湧いてこなかったのですが、「どこでもドア」の仕組みとか、いろいろ考えこむ作品でした。 いやはや、それにしても、なぜ戦いはカンフーなのでしょう。それが、一番引っかかったことでした。 というわけで、どこに拍手していいかわからなかったので、今回は保留ですね(笑)。 監督 ラリー・ウォシャウスキー・アンディ・ウォシャウスキー ネオ( キアヌ・リーブス) モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン) トリニティー(キャリー=アン・モス) エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング) ナイオビ(ジェイダ・ピンケット=スミス) 2003年・138分・アメリカ 原題「The Matrix Reloaded」 2021・12・24・こたつシネマ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.01 03:01:01
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