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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
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幸田文「父・こんなこと」(新潮文庫) 幸田文の「おとうと」を棚から引き出すと、自身のことを書いた「みそっかす」と雁首をそろえるようにして出て来たもう一冊が「父・こんなこと」という新潮文庫でした。 父、幸田露伴の最晩年の姿を、婚家から孫娘を連れて実家に戻って20年近くともに暮らした、出戻りの娘が書いています。彼女は50近くになって父を看取り、初めて人前に出す文章を書いたはずですが、とても素人の文章とは思えません。 今でこそ幸田文は戦後文学に、余人には及び難い独特な位置を占める作家です。 これがデビュー作か!? とうなりますが、文豪幸田露伴の死に際して彼女に書かせた編集者がいたことの 幸運!をつくづくとかみしめるかの読書でした。 父はその報告を聴いていたが、にこにこと機嫌よく、おまえは私の葬式がどういうようになると思っているかと訊いた。機会である。子の方からやたらには切り出せない事柄である。狡猾さを気にしながら問を以て答えとした。「どんな風にするのかしら。」「おまえがきょう見て来たものとは凡そ違うものなのさ。溢れるほどに人が来るなんて思っていれば見当違いだ。」と云って笑い、「明の太祖の昔話にあるじゃないか。棺桶も買えない貧乏な兄弟がおやじさんを明き樽に入れて、さし荷いでとぼとぼ行く途中の石ころ道に、吊った縄は断れる、仏様はころがり出す、しかたがないから一人が縄を取りに帰ったなんていうのは、いくらなんでもあんまり厄介過ぎるから、まあ住んでいる処の近処並に極あっさりとやっといてくれりゃそれでいいよ。おまえには気の毒だがうちは貧乏だ、わたしの弔いのためにおまえが大骨折って金を集めたり、気を遣ったりして尽くしてくれることはいらない。傷むなと云ったっておまえは子だから傷むにきまっている、それで沢山なんだよ。」なごやかな心で柔かく話す時の父の調子、まったくいいものであった。よその父親は如何に娘に話すか知らないが、こういう時の父は天下一品のおやじだと思っている。どこのおとうさんととりかえるのもいやだと思う。だから叱られて泣く時にはたまらないが、思い出して我慢するのである。(P82~P83) 知人の葬式に、娘の幸田文を名代として参列させ、帰ってきた娘の報告を聞きながら、自らの葬儀について語る露伴の姿が思い浮かぶような文章ですね。 父を慕う娘の素直さがなんの厚かましさもなく表れて、文豪の素顔と幸田家の日々の暮らしのあたたかさがこころのやり取りとして見えてくるようです。 続けて、その娘が父を看取り、送るのは自分の仕事だと決意したのはあの時だったことが記されています。 私が、父の葬儀は自分一人でしなくてはなるまいと思い込んだのは二十三の秋、たった一人の弟をなくしての通夜の晩に、花環のある部屋で杯を放さぬ父の姿を見て、しみじみ寂しかった、その時にはじまる。父もまだ元気で、頸から肩へよい肉づきを見せてい、私も若くむちゃくちゃで、ただおとうさんの時は文子がするとだけで、ほかには何も思わなかった。 「おとうさんの時は文子がする」という子供の言葉に弟に対するこころの奥底の哀しみと、父へのいたわりが響いています。 早耳な国葬云々の話が聞こえた。いあわせた下村さんに訊いた。「勝手にしていいの?」「え?」「お受けするようにきまっていることなの?」野太い声が笑って、「あなたの好きなようでいいんですよ。」父はそんなことを話さなかった。文子がお弔いをすることと思っていた。私もそう思っていた。松の多い、苺のできるこの土地、雨風を凌いだこの家には一年有余の馴染がある。国葬は栄誉なことであるが、私がするなら、借りた伽藍より、ここから父を送ることはあたりまえであった。 「おとうさんの時は文子がする」という小さな気構えを支えに父の最後を看取り、送ろうと生きてきた娘には、思いもよらなかった文豪幸田露伴の死をめぐる世間の大騒ぎです。それ相応に年月も重ねてきた娘が、そんな世間を相手に、もう一度「若くむちゃくちゃ」な気持ちに立ち返る姿に、幸田文という人の本領があるのでしょうね。 その当時の世間を思えば並大抵の決意ではなかったでしょうが、家族を送るという誰しもが出会う人生の時への見事な身の処しかたが、障子の桟の拭きかたを語るかのように語られているところが幸田文の文章だと思います。 日常の小さな思い出が書かれてる1冊ですが、それにしても、初めて彼女の原稿を受け取り、目を通した編集者はうれしかったでしょうね。 永遠に古びない 「娘」の気持ち 読んでみませんか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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