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カテゴリ:映画「こたつシネマ」でお昼寝
ウォシャウスキー兄弟「マトリックス」こたつテレビ
お正月の準備で忙しそうなチッチキ夫人をしり目にこたつにもぐり込んでニ時間頑張りました。見終えて、ボンヤリしていると、一緒に見たわけではないチッチキ夫人が一言声をかけてきました。 「テレビで見ても面白くないんじゃないの?」 そうでもないかったのですが、よっぽど、面白くない顔をしていたんでしょうね。 見た映画は、二日ほど前に「マトリックス リローデッド」という、シリーズの第2作を見たのですが、なんと、第1作の「マトリックス」でした。 第4作公開がらみで、シリーズを全部TVで流していたようで、そのチャンネルに偶然出会って座りこみました。年の瀬とか言いますが、することがない老人にはすることがないのですね。 第2作でよく分からなかった主人公のネオという人がハッカーだったとか、どうやって強くなったとか、画面がグンニャリ変化するの理由とか、「どこでもドア」の理屈とか、それなりにわかりました。 あくまでもそれなりですが、要するに養老孟司のいう「脳化」社会の映像化だなというのがぼくの解釈でした。で、思い出したのは「胡蝶の夢」の話でした。 昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。 今から2000年以上も昔の人である荘子の有名な話です。中国の古典には「桃花源記」とか「邯鄲之夢」とか、夢ネタの怪奇譚はたくさんありますが、詩的というか哲学的なのは荘子のこの夢でしょうね。脳=意識の中のヴァーチャル・リアリティーを世界で最初に記した記述かもしれません。 養老孟司の脳化社会論(?)は身体性=自然性を失っていく都市化社会への警告なのだと思いますが、「マトリックス」というこの映画が一切の自然性をヴァーチャル化=脳化して見せているところに迫力を感じました。 もっとも、「マトリックス」から20年たった現在、子供たちに限らず、込み合う通勤電車でマスクで覆面した大人たちがスマホやタブレットのITワールドに夢中になっている光景が常態化しているわけで、現実の方がはるかにホラー的迫力を漂わせていることを思わせるこの作品は、今や「古典的」なのかもしれません。 久しぶりに、ドラゴン・ボールから庵野秀明まで、あの頃のマンガ・シーンを彷彿とさせてくれたウォシャウスキー兄弟に拍手!でした。 監督 アンディ・ウォシャウスキー ラリー・ウォシャウスキー 脚本 ウォシャウスキー兄弟 撮影 ビル・ポープ 美術 オーウェン・パターソン 衣装 キム・バレット 編集 ザック・ステーンバーグ 音楽 ドン・デイビス 視覚効果監修 ジョン・ゲイター カンフー振付 ユエン・ウーピン キャスト キアヌ・リーブス(ネオ) ローレンス・フィッシュバーン(モーフィアス) キャリー=アン・モス(トリニティー) ヒューゴ・ウィービング(エージェント・スミス) グロリア・フォスター(預言者オラクル) ジョー・パントリアーノ(サイファー) マーカス・チョン(タンク) ポール・ゴダード(エージェント・ブラウン) ロバート・テイラー(エージェント・ジョーンズ) ジュリアン・アラハンガ(エイポック) マット・ドーラン(マウス) ベリンダ・マクローリー(スウィッチ) アンソニー・レイ・パーカー(ドーザー) 1999年・136分・アメリカ 原題「The Matrix」 2021・12・30・こたつテレビ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.01.07 09:19:31
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