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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
堀田百合子「ただの文士」(岩波書店) 今日は2022年の1月17日です。神戸の震災の「思い出(?)」はいろいろありますが、あのあと、職場の同僚の数人で始めた「小説を読む会」が今でも続いています。
なんで、そんなことを始めたのかといえば、忙しかったからです。土曜、日曜にクラブ活動の「指導(?)」とかで出勤することが当たり前の職場でした。 「あっ、その日はだめです。ベンキョー会があります。」 とか、なんとか、そんな言い訳のいえる日を作りたかったというのが、ぼくの本音でした。 で、その会の今月の課題が堀田善衛の「方丈記私記」(ちくま文庫)なのです。はじめからのメンバーの一人が提案なさいました。20数年、作家の数でいえば、年に20人ほど、合計すれば500人ほどの「作家」の著作を読んできたのですが、そういえば堀田善衛って読んだことがありませんでした。 推薦なさった方は、最近「めぐり合いし人びと」(集英社文庫)をお読みになって提案されたようです。サルトルとかネルーとかいう人との出会いも出てくる、作家の晩年、1990年ころに書かれた回想集です。その本に対して「方丈記私記」は70年ころの著作です。 堀田善衛といえば、押しも押されぬ戦後文学、第二次戦後派の巨星ですが、「方丈記私記」は芥川賞受賞作の「広場の孤独」、「審判」・「海鳴りの底から」などの初期(?)、1950年代~60年代の小説群のあと、70年代の「ゴヤ」に始まる評伝の大作群の仕事の入り口で書かれた中期の傑作で、のちの大作「定家明月記私抄」 (ちくま学芸文庫)の肩慣らしのようなところもある作品ですが、いわば堀田版「鴨長明論」ともいうべき評論だったなあという、ちょっとあやふやな記憶が浮かんできましたが、そのとき、ふと、思いました。 「若い人たちは、そもそも堀田善衛とかご存じなのだろうか?」 まあ、大きなお世話なわけで、お読みになって興味をお持ちになれば、他の作品も、というふうでいいわけですが、なんだか妙な老爺心が浮かんできてしまって、 「ああ、あれがいい、あれを案内しよう」 と思ったのがこの本です。 堀田百合子「ただの文士」(岩波書店)ですね。 何かの雑誌の連載なのか、書下ろしなのかはよくわかりませんが、1998年に亡くなった堀田善衛のお嬢さんである堀田百合子さんが、最後の日々には「センセイ」とお呼になるようになった父上のことを、その記憶の始まりからを思い出して書いていらっしゃるエッセイ集です。 変な言い草ですが、読んでいて便利なのは日時を追ってエピソードが語られ、エピソードに合わせて、その当時の作品が、堀田百合子さんによって読み直されているところです。 目次はこんな感じです。 目次 1949年生まれの百合子さんの思い出が彼女自身の記憶としてくっきりとしてとしてくるのが「モスラのこと脱走兵」のあたりからで、百合子さんが小学生のころのことです。 一九六一年。 ちなみに、「方丈記私記」の話は一九七一年、ぼくにとって長年、懸案になっている「ゴヤ」の話題が出てくるのは一九七二年です。 一九七二年前半のころ、「朝日ジャーナル」誌より、翌73年からの連載の依頼がありました。「ゴヤ」です。父は、まだ早い、まだ取材が済んでいない、まだ見なければならない絵がたくさんある、と言って連載の依頼をいったん断りました。 と、まあ、こんな感じなのですが、それぞれのトピックは「モスラ」の話であれば、ベトナム戦争に従軍するアメリカの脱走兵をかくまう話とか、「ゴヤ」であれば、親友武田泰淳の死であるとかと重ねて思い出されています。そこに、堀田善衛という作家の社会や歴史に対する基本姿勢のようなものが浮かび上がってきて、ぼくには印象深い話になっていました。 もちろん、最後は晩年の堀田善衛の姿が描かれるわけですが、東京大空襲から25年たって「方丈記私記」を書いた作家が、その後、ナポレオン戦争の「ゴヤ」(集英社文庫・全4巻)、「紅旗征戎非吾」の「定家明月記私抄 」(ちくま学芸文庫上・下」)をへて、「エセー全6巻」(岩波文庫)のミシェル・ド・モンテーニュの肖像「ミッシェル 城館の人」(集英社文庫・全3巻)の大仕事の話題がこの思い出の後半のメインです。 で、ぼくの老爺心の本音は、 「せっかく、堀田善衛を読むなら、ここまで付き合ってあげてね!」 とでもいうべきものです。テレビのグルメ番組のようなことをいってますが、若い読書グルメの皆さんが、前菜「方丈記私記」に続けて用意されている、メインディッシュに気づいて頂きたい一心の案内でした。 まあ、腹いっぱいどころではすまない量ですがね(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.18 09:50:55
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