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カテゴリ:映画 アメリカの監督
フレデリック・ワイズマン「ボストン市庁舎」元町映画館 今日は2022年の1月24日です。フレデリック・ワイズマンの最新作「ボストン市庁舎」が神戸で始まりました。同居人のチッチキ夫人をさそいました。
「4時間でしょ。混んでる映画館に4時間はきついわ!」 なんとも、つれない返事でした。彼女のお気に入りの「ニューヨーク公共図書館」だって3時間を超えていたのですが、2018年の夏と2022年の冬とでは事情が違います。できれば混雑には近づきたくないのは同感ですが、ワイズマンの新作です。見逃すわけにはいきません。 そういうわけで、最近、ラインとかいう連絡方法でつながらせていただいている映画館の受付嬢に様子を聴きました。意外なことに「大丈夫!」との返事です。 途中の空腹に備えて大福もちを携えて出かけました。着席してため息が出ました。66席の小さな映画館が半分も埋まっていないのです。混雑を覚悟していたのですが、まあ、拍子抜けということでした。 さて、映画です。2時間経過したところで休憩が入る前半と後半、あわせて274分の作品でした。市庁舎のビルが映し出されると、市長の演説が始まりました。そこから、誰かが誰かに語りかけ、電話をとり、現場に指示を伝え、・・・・とにかくしゃべり続ける映画でした。 上のチラシ写っていますが、映し出される場面は、たとえば、議会での市長の演説。ボストン・レッド・ソックスの優勝に関わる祝辞。パレードの警備の指示とその広報。火事の現場と報告。様々な公聴会での市民や役所の係の発言。部下に対する現場の責任者の指示や市長の政策説明。 と、数え上げていくときりがないのですが、中でも印象に残ったのは、市役所で結婚式を挙げて届け出をする同性婚のカップルでした。 市役所の係の女性が立会人として指輪の交換とかの仲立ちをするらしいのですが、女性同士の同性婚って、双方が「妻」として誓いの言葉をいうのですね。 「へえ、そうなんだ!」なんていう感想をここで書くのは、ある意味トンチンカンだと思われると思うのですが、この映画を見ていて思ったのは、市役所っていう公共の場所というか、公共的機能っていうのは、あくまでも「市民」の「個人の尊厳」を守ることが仕事なんですね。火事があったら消しに行くのも、町のチームが優勝したら一緒に喜ぶのも、行政に不満のある人の話を聴くのも、教会で挙げることのできない同性婚の結婚式をするのも、まず「市民」と呼ばれている個人の尊重という前提があっての仕事なんだということなんですね。 多数決が民主主義で、多い方が勝ちだと思いこまされて弱者や少数者の自己責任を当然視する社会って本当は民主主義なんかじゃないんじゃないでしょうか。「二人の妻」が結婚するシーンは、そういう普遍的で原理的な問いを「ほら、ご存知でしたか?」と軽やかに問いかけていて、笑っているワイズマンがそこにいるようなスリリングなシーンだったのです。 「困っていることがあったら俺に電話してこい。」 市長室からこんなことをいう市長さんは、やっぱり、あんまりいないわけで、まあ、自宅や飲み屋さんでこういうことを吹く人が、ぼくが住んでいるこの国には結構いるようなのですが(笑)、それは市役所の公報で言うのとは真逆ですね。 90歳を超えたフレデリック・ワイズマンが、このマーティ・ウォルシュ市長の姿を執拗に撮り続けるのがこの映画の特徴だと思います。こういう撮り方には、ここまで見て来た彼の作品にはない偏りのようなものがあります。そこにはワイズマン自身の中にアメリ社会の現実に対する焦燥感、なりふり構っていられない危機感のようなものがあることを感じさせるのですが、もう一つの理由は、まあ、単なるうがちで、失礼を顧みずに言うと、やはり、年齢に対する意識もあらわれているのではないかということです。彼は祈るようにこの作品を作ったのではないでしょうか。 民主主義社会における公共性の根幹を相互理解を前提にした「市民」であり、それぞれの「個人」が言葉を語り、それを聞く人がいることを強く印象付けていく映像にはフレデリック・ワイズマンが躍如としている作品でした。 単なる客観ではない「主張」を、淡々と描き続けているフレデリック・ワイズマンに拍手!でした。 監督 フレデリック・ワイズマン 製作 フレデリック・ワイズマン カレン・コニーチェク 製作総指揮 サリー・ジョー・ファイファー 撮影 ジョン・デイビー 編集 フレデリック・ワイズマン 2020年・274分・G・アメリカ 原題:City Hall 2022・01・24-no11・元町映画館(no110) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.22 21:55:38
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