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ヴィム・ヴェンダース「都会のアリス」シネ・リーブル神戸 2022年の映画館初詣は、シネ・リーブル神戸の「ヴィム・ヴェンダーズ・レトロスペクティヴ」という企画のシリーズ作品です。
本日1月7日が、企画の初日で、作品は「都会のアリス」です。その当、時映画と無縁だったぼくが、今さら知ったかぶりでいうのもなんですが、ベンダーズは1970年代にニュー・ジャーマン・シネマの旗手として登場した監督で、80年代の後半に日本でも次々と紹介されて、ある種のブームだった人ですが、ぼくは映画館で1本も見たことがありません。見なかったのは、単に映画館に通うことをやめてしまっていたからにすぎませんが、見ないとなると全く見ないようになったのは性分でしょうね。 で、見ないと決めた暮らしをしていたにもかかわらず、ものすごく気になった監督が数人いますが、その一人がヴィム・ヴェンダーズでした。いろんな人が、いろんなところで、彼について書いていました。そういう批評をまだ読むだけは読んでいたので、見もしない映画と監督が意識の中だけは伝説化するというアホな頭でっかちの思い入れの人と映画です。 ワクワクしながら座りましたが、見終えて、しびれていました。主役の二人、フィリップ(リュディガー・フォグラー)とアリス(イエラ・ロットレンダー)が互いに見つめあうラストシーンが繰り返し浮かんできて、涙が止まらないのですが、さわやかなのです。 思いこみの伝説がムクムク姿を現した気がしました。仕事不如意でアメリカからドイツへの帰国を余儀なくされているらしい物書きのフィリップと、英語もよくできない母親から見ず知らずの他人に預けられたのか、捨てられたのか、考えてみればあり得ないほど 「途方に暮れる」境遇の少女アリスの旅でした。 フィリップは何故アリスを捨てないのか、運転しているフィリップの膝にアリスが頭を預けてすやすや眠るのは何故なのか、事態を説明するセリフはほとんどありません。いくら画面を凝視しても、その理由がわかるわけではありません。なのに、それぞれのシーンで、ぼくの中に少しづつたまっていって伝説に凝固していく何かがあることは確かなのです。 ようやく、さがし続けていたアリスの家族の行方がわかり始めて、彼女が家族のもとに引き取られていくことになる終盤のシーンでホッとしながらも、 「このままでもいいじゃないか。」というふうな気持ちが見ているぼくの中に湧き上がってくることを抑えることができませんでした。 二人はただの行きずりです。二人とも我が強いというか、自分を譲れないというか。大人のはずのフィリップは、仕事からも女性からもさじを投げられているらしい、なんだか困った奴です。アリスも10歳くらいの少女にしてはこましゃくれていて、何を考えているのかよく分かりませんが 「こんな子いるようなあ・・・」と思わせる何かがあります。まあ、今のぼくにとっては、お孫さんで、愉快な仲間の一人、小雪姫と同い年くらいという別の連想も加わって目を離せません。 その二人が、別れに際して見つめあったとき、ぼくの中にこみあげて来たものは、なんだったのでしょう。えもいわれぬ、喜びのような、哀しみのような、 「こんな世界の片隅で、お互い出会えてよかったね」 というか、ささやかではあるのですが、見ている老人の生きているということを励ますような・・・。 飽きもせず小説を読み続け、映画館に通う毎日ですが、小説にしろ映画にしろ、こういう作品と出会うことがあるのですよね。いやはや、ヴィム・ヴェンダーズ! はまりました。 ヴェンダーズに拍手!は言うまでもありませんが、アリスとフィリップの二人組に拍手!でした。ウーン、アリスにはもう一度拍手!ですね(笑)。 監督 ヴィム・ヴェンダース 製作 ヨアヒム・フォン・メンゲルスハオゼン 脚本 ヴィム・ベンダース 撮影 ロビー・ミュラー 編集 ペーター・プルツィゴッダ 音楽 CAN キャスト リュディガー・フォグラー(フィリップ・ヴィンター) イエラ・ロットレンダー(アリス) リサ・クロイツァー(リザ) エッダ・ケッヒェルアンゲラエッダ・ケッヒェル エルネスト・ベームエージェントエルネスト・ベーム ミルコジュークボックスの少年ミルコ 閉じる 1974年・112分・G・西ドイツ 原題「Alice in den Stadten」 日本初公開1988年11月19日 2022・01・08-no1・シネ・リーブル神戸no132 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.25 09:31:13
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