|
カテゴリ:映画 アメリカの監督
トム・マッカーシー「スティルウォーター」シネ・リーブル
1月の終わりごろシネ・リーブルでチラシをもらって帰ってきてチッチキ夫人に見せました。 「マット・デイモンやん。」 というわけでシネ・リーブルにやって来ました。見たのはトム・マッカーシー監督の「スティルウォータ」です。 黄色い(?)ドアが映っていて、そのドアが引きはがされて、だんだんシーンが広がっていくと、地域一帯が廃墟で、オクラホマを襲ったハリケーンの被災地だということがわかっていきます。題名の「スティルウォーター」というのはオクラホマ州の町の名前のようです。帰って調べてみると、アメリカのほぼど真ん中の町でした。京都の亀岡市と姉妹都市だそうです。 被災地の後片付けの仕事をしているのがビル・ベイカー(マット・デイモン)でした。いかにもトランプを支持しそうな白人の肉体労働者ですが、犯罪歴のために投票権をはく奪されています。高校中退、アルコール中毒、服役、妻の自殺、母を失ったあと祖母に育てられた娘アリソン(アビゲイル・ブレスリン)は留学先のフランス、マルセイユで服役中。容疑は殺人。同棲していた同性愛の恋人を殺した容疑です。こうして、映画を見ながら分かったことを書き上げていくと最悪(?)の人生を歩んでいる男がビル・ベイカーです。 男は食事の度に娘アリソンの幸せを祈る祈りをあげます。娘に去られた男はアルコールや薬物をやめ、更生を誓って働いているのです。その男が娘との面会のためにマルセイユにやってくるところから映画は動き始めました。 マルセイユにやって来たビルですが、言ってしまえば場日ガバ日やらわからない世界に放り込まれた感じです。まず、言葉が通じません。娘とは会えますが、彼女が弁護士あてに書いて、男に託した短いフランス語の手紙すら読めません。娘は冤罪を訴えているのですが、父親にその話はしようとしません。娘から見た父親はその程度のやつなわけで、そこがこの映画の肝の一つかもしれません。手紙を読んだ弁護士は娘の冤罪の訴えに取り合いませんが、彼は自分には話してくれない娘の無実を信じて行動しはじめます。 結果的に、殺人に手を下したアラブ系の男性の存在が実証され、父は娘を連れてスティルウォータに帰ってきます。こう書くと、あたかもハッピーエンドの結末であったかのようですが、果たしてどうでしょう。そのあたりは見ていただくほかありません。 記憶に残った最も美しいシーンがあります。マルセイユに到着直後、ビル・ベイカーが泊まった木賃宿の廊下で部屋に入れないで座りこんでいるマヤ(リロウ・シアウヴァウド)という少女との出会いのシーンです。まあ、おじいさんはこういうのに弱いのです(笑) シングル・マザーで、売れない舞台女優の母ヴィルジニー(カミーユ・コッタン)と暮らしている小学生のマヤちゃんは鍵を持たされていないために自室から締め出されていたのですが、言葉も分からないビルがフロント・カウンターに掛け合うシーンです。 ヨーロッパ社会の経済格差や人種的混沌の坩堝のような安宿の廊下で見せたアメリカの肉体労働者のふるまいは、実際、自分もどうしていいかわからな境遇なのですが、まっとうに生きるということはどういうことなのかということをストレートに表現していてグッときました。 このシーンもそうなのですが、この映画の中でのマット・デイモンの演技は、一昔前なら「男らしいってわかるかい」といって称賛されていた存在感の表現から、マッチョな「男らしさ」を捨てることでうまれる、まあ、なんというか、哀しみにあふれていると思いました。 アメリカの貧困の深部からヨーロッパの暗部を旅して帰ってくる男は「行かなくちゃ」とは思っていても、「行きたかった」わけじゃなかったかもしれません。ただ、ここにじっとしていられなかったことは確かです。娘から見ればカス野郎かもしれないのですが、父親なのですから。 自分はダメな父親だけれど、世界はまともかもしれないと思っていたかもしれません。娘を救えるかどうかも、気持ちだけが先走った賭けだったかもしれません。で、たしかに賭けには勝ったはずなのです。オクラホマの世間は大騒ぎして浮かれています。 が、やっぱり、男には世界はクソで、生きていくことが哀しいだけなんです。彼はきっと、握りこぶしをもう一度握りしめながらこう思ったんじゃないでしょうか。 「明日から、オレは、何を祈ればいいのだろう。」 まあ、適当なまとめで申し訳ありませんが、そんな男を見事に演じたマット・デイモンに拍手!でした。「最期の決闘裁判」では覚えられなかった彼を今回はしかと記憶したはずです。 それから、ビル(マット・デイモン)に懐いたマヤちゃん(リロウ・シアウヴァウド)、と彼女のママ、ヴィルジニー(カミーユ・コッタン)にも拍手!でした。悪くない親子でしたが、ママはちょっと苦手かもです。 現代のアメリカ社会とヨーロッパ社会を交差させることで、分厚い現代世界を見せてくれた監督トム・マッカーシーにも拍手!ですね。なんか、とても勉強になりました(笑)。 監督 トム・マッカーシー 脚本 トム・マッカーシー マーカス・ヒンチー トーマス・ビデガン ノエ・ドゥブレ 撮影 マサノブ・タカヤナギ 美術 フィリップ・メッシーナ 編集 トム・マカードル 音楽 マイケル・ダナ キャスト マット・デイモン(ビル・ベイカー 父) アビゲイル・ブレスリン(アリソン・ベイカー 娘) カミーユ・コッタン(ヴィルジニー シングル・マザー) リロウ・シアウヴァウド(マヤ 娘) ディアナ・ダナガン(シャロン) イディル・アズーリ(アキーム) アンヌ・ル・ニ(レパーク) ムーサ・マースクリ(ディロサ) ウィリアム・ナディラム(パトリック) 2021年・139分・G・アメリカ 原題「Stillwater」 2022・02・08-no14・シネ・リーブルno134 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.14 20:29:26
コメント(0) | コメントを書く
[映画 アメリカの監督] カテゴリの最新記事
|