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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
100days100bookcovers no69 69日目
庄野潤三『夕べの雲』(講談社文庫) お久しぶりです。このところ、ますますやることがおそくなり、目はみえにくいわ、ものは失くすわ、言葉がでてこないわ と健全に老化が進んでいるところに、野暮用が重なっていて、なかなかできなくて、すみませんでした。 KOBAYASIさんご紹介の、星野博美の『のりたまと煙突』は読んだことがないので、題名にゆかりあるものか、紹介文関連で探したいのですが、「海苔」「卵」「煙突」「銭湯」「猫」などなど。どれも家には見当たりません。常々、手持ちの本が少なくても、もっぱら近くの公立図書館を自分の本棚のように使わせてもらっているのに、緊急事態宣言期間ゆえ、今回は図書館本はあきらめます。 で、また、手持ちの本を無理やりにでも関連つけられないかとKOBAYASIさんの文章を読んでいたら、この一文にこじつけられるのではないかと思い至りました。 <「内省」とはいくぶん異なるが、圧巻は「東伏見」だろう。まるで短編小説だ。> 『のりたまと煙突』って「短編小説のようなエッセイ」を含んでいるのですね。それなら、その逆で 「エッセイのような小説」 はいかがでしょうか。うーん。苦しいこじつけですが。 大学を卒業して就職が決まらない頃に知り合いから勧められた本で、いつかこれをと思っていた本にします。 庄野潤三の『夕べの雲』(講談社文庫)です。 庄野潤三は<第三の新人>の一人ですが、不勉強なので、ほかの作品は読んでいません。(吉行淳之介の『夕暮れまで』は大ヒットしたときにYAMAMOTOさんから本をお借りして読みました。今さらですが、ありがとうございました。)教員採用試験前のオベンキョーにこれくらいは読んどいたほうがいいのかしらと、思って読み始めました。 ところが意外にも、試験の役に立つどころか、山の上に住む一家のたわいない日常生活が淡々と描かれていて、エッセイなのか小説なのかわからないような筆致でした。読後、穏やかな心持ちになれて大好きな作品にはなりました。いつかは、この小説の中の家族のように、植物のことを気にかけ続けるような生活がしたいなあと、心に刻まれた本になりました。植物好きが嵩じた一因かもしれません。 話は私自身のことになりますが、学校では「国語」よりも「生物」の方が好きだったのに、数学も物理も化学もダメで理系をあきらめて、当時は、女子は文学部でしょみたいな感じで大学は文学部に進んだけれど、クラブやサークルではせめて「園芸」をと思っていました。でもなかなか見つからなくて、やっと「ENGEI」というポスターを見つけてお部屋に行ったら、ひげもじゃの年齢不詳の男性がいて、ちょっと不気味だったけれど親切な応対で「ここは演芸で、園芸ではありません。」「園芸のことは分かりません。」と説明してくれました。それが中国文学の松浦さんだったとは、あとで知りました。その後とうとう「園芸サークル」を発見。集まりに出席したら、5名いらした先輩方はみなさん農学部の方で、(当然といえば当然ですが、それまで全然気が付きませんでした。中年になってから、その時に農学部に転学することを思いつくべきだったのに と思うことしきり です。)その日は夏休みの水やり当番を決める会議でした。肥料や薬など、聞きなれない言葉に、場違いな文学部生であることや、夏休みに水やりのためだけに片道2時間近くかけて通うなんて嫌気がして、次回の集まりで退会してしまいました。その後、学生時代に花屋で2年間アルバイトもしました。卒業後、非常勤講師をしながらも、教師よりも花屋になれたらいいな なんてことを思ったりもしていました。(花屋も、重い水桶を動かすから腰を痛めやすいし、花の持ちがいいように店は低温にしているので冷えるし、水や農薬で指は荒れっぱなし。 で 怠け者の私には無理ですが。) 『夕べの雲』に戻ります。今Wikipediaを調べて、読売文学賞を受賞している有名な本だったと改めて知りました。もとは新聞連載小説だったそうです。 昭和39年(1964年)9月から昭和40年(1965年)1月まで日本経済新聞夕刊に連載された小説で、同年3月に講談社が単行本化しています。同年の野間文学賞候補となり、翌年1966年には毎日文学賞候補、読売文学賞を受賞しています。私の持っている講談社の文庫本は昭和46年7月発行で第7刷。もう一冊講談社文芸文庫を夫が持っていました。それは、1988年4月第1刷発行で、2005年8月第28刷発行と奥付にありました。こんなに売れていたとは知りませんでした。 丘の上の一軒家で自然と親しみながら暮らす大浦家(中年夫婦と3人の子どもたち)の日常生活を描いた「家庭小説」です。普通なら、家族にふりかかる事件や家族間の確執が描かれて、その危機や葛藤あるいはそれを乗り越える展開が描かれるところですが、それら一切のない季節感豊かで理想的な家族の単調で幸せな「家庭小説」です。 『アンナ・カレーニナ』の冒頭 「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ。」を思い出します。「幸福な家庭」の物語は読者に読む気を起こさせないというのが常套でしょうが、どうしてこの単調な小説がこれほど売れたのか。それでも、今となってはもう読む気をそそらなくなっているのか。そんなことも気になりました。 その土地のことをよく知らないよそ者が丘の上に一軒家を建てるが(作中の大浦は作家庄野潤三の分身でしょう。庄野は大阪出身で、30歳で東京に転勤。40歳のときに、川崎市生田の「海抜90メートル」の山のてっぺんに転居しています。それから新展開の「家庭小説」を書くようになったと、小沼丹が文庫本の解説で書いています。今も「山の上の家」はあるそうですね?2019年までは年に一度一般公開もされているようです。)風が強くて、始終風よけになる木のことを気にしているといったたわいのない話とか、子どものこと、害虫のこと、など13篇まとめられています。ここに書かれているのは、季節と家族とその知り合いの話だけです。外の社会のことには触れられていません。周辺の多摩丘陵が一気に「開発」され、自然が失われていくことに多少触れられてはいますが、批判する気はなさそうです。無常観というのか、すべては変わっていく、失われていくといくものだ。だからこそ、失われゆくものを哀惜し、ユーモアをもって書き記していこうとしているように感じられます。 目次巻頭の「萩」より一部抜き出してみます。風当りの強い家に引越した当座の困惑を他人事のような余裕とユーモアで書いています。 何しろ新しい彼等の家は丘の頂上にあるので、見晴らしもいいかわり、風当りも相当なものであった。360度そっくり見渡すことが出来るということは、東西南北、どっちの方角から風が吹いてきても、まともに彼等の家に当るわけで、隠れ場所というものがなかった。 強い風に悩まされているのかいないのか、目線が自他や時代や状況をあちこち行き来するユーモア、それと、自然におかれた状況が理解できる文体が読みやすかったです。 また、周辺の人の描き方にも惹かれました。「大浦」が頼みにしている一徹な植木屋「小沢」の描き方も挙げてみます。ちょっと長くなりますが、落語のような対話です。「山芋」の一部より 大浦はどちらかというと、せっかちな人間であったが、小沢と話をしている間は、自分がせっかちであるということは暫く棚上げにした。何の木を植えたらいいか、相談をするには、暇がかかる。だが、結論を急いではならない。 こんなふうに偶然の出来事や出会いを淡々と穏やかなおかしみをもってつづられています。ここでは書きませんが子どものことを書いているところも、とても細やかな慈しみが感じられます。そして、そこから大浦自身の子どものころを思い出して、丁寧に語ってゆきます。自分にとってもかけがえのない子どもの時代があったことを目の前の子どもによって思い出すことになり、再び記憶で経験します。 自分は「今」から「過去」を思い出すと同時に、子どものことを「未来」から「今」を見て、かけがえのない子どもの時代を慈しみ、「今」のできごとを書き記しているようです。「今」が過ぎ去ることを知っている大人が、未来からの目線で子どもたちの「今」を、かけがえのない偶然の重なる今を書き留めている感じがします。 たわいもない偶然こそが大事なことを知ってしまった大人の記録のような小説ではないでしょうか。それを感じさせるのが季節の廻り、植物や虫や天候や、時にはそのときのTV番組も。切なさを内に抱いて、過ぎ去る自然を楽しめる小説でした。 SIMAKUMAさん 御無沙汰しております。おあとをよろしくお願いいたします。E・DEGUTI・2021・05・31 追記2024・04・01 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.18 19:42:21
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