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カール・テオドア・ドライヤー「ゲアトルーズ」元町映画館
「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」の4本目は「ゲアトルーズ」でした。1964年に作られた作品で、ドライヤーの最後の作品、遺作だそうです。ここまでの3本が、まあ、宗教的な原理主義がらみだったので、かなり構えて席に着きましたが、なんというか、コテコテのメロドラマで、またまたのけぞってしまいました。 弁護士で政治家、ローマに住む国民詩人、若手のピアニスト、パリの精神分析学者、男が4人出てきて、すべての男たちが、主人公の女性ゲアトルーズの、まあ、過去、現在、同時進行、いろいろありますが「愛人」です「した。 このシチュエーションを、コテコテのメロドラマとしてしか受け取れないのはシマクマ君の年齢と、その結果の人生観によるのでしょうかね(笑)。 先に見た3本の作品が「神」に対する信仰の、絶対的な原理主義の行方を描いていたというのが、シマクマ君のシロウト見立てなのです。別の言い方をすれば、超越的、普遍的な「神」に対して、個人の「愛」を持ち出してくると、一般的な、だから、まあ、誰でもが持ちうる「信仰」とぶつかってしまうという話だったと思うのですが、その「愛」の対象を人間にするとどうなるのかというのが、この映画でした。 「愛」という言葉繋がりで対象を人間にして、なおかつ身体的交渉を描くと、「恋愛関係」という言葉でまとめられてしまいます。で、複数の恋愛関係は「遍歴」ということになって、画面の中では「愛の遍歴」に生きながら、真実の「愛」にはたどり着けない、この作品の主体は女性ですが、彼女が世界の真ん中で、まあ、画面のですが、満たされない亡霊化してあらぬ方を見ている姿になって映っているわけで、見ているこちらも呆然としてしまいました。 まあ、何が何やらわかっていないのですが、この女性の位置に「神」をおいてみると、ドライヤーという人が「キリスト伝」を撮りたかったらしいということなんかも浮かんできて、ちょっと感想は変わりますね。 「愛」の不可能性を生きるゲアトルーズこそが神である、そう言いかえてみると、ただのメロドラマでは収まりそうもありませんね。 まあ、映画研究とかする人には、画面の配置、人物相互の目線、鏡を見る女性、会話の不成立、エトセトラ、エトセトラ、話題の種は山盛りだった気がしますが、シマクマ君はとりあえず、のけぞって見終えました(笑)。すごいなあ…、という感じで、スゴイ!とはなりませんでしたが、まあ、しようがないですね。 どこ視ているのか、とうとうわからなかった、美しいゲアトルーズ(ニーナ・ペンス・ロゼ)に拍手!でした。 監督 カール・テオドア・ドライヤー 原作 ヤルマール・セーデルベルイ 脚本 カール・テオドア・ドライヤー 舞台美術 カイ・ラーシュ 衣装 ベーリット・ニュキェア キャスト ニーナ・ペンス・ロゼ ベンツ・ローテ 1964年・118分・デンマーク 原題「Gertrud」 2022・02・21・no20・元町映画館no118 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.10 13:59:17
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