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カテゴリ:映画 フランスの監督
ジャン=リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」シネ・リーブル神戸 今年に入ってレトロ・スペクティブという企画が頻繁に行われている映画館ですが、ルイス・ブニュエルといい、今回のゴダールといい、20代に見てほぼ40年ぶりに見直すという体験を繰り返しています。
今回はジャン=リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」でした。テレビでも繰り返し放映されてきた作品で、今さらあれこれ言ってもしようがないとは思うのですが、劇場でやるとなると「見に行こうかな」という誘惑に勝てないたぐいの作品の一つです。 ジャン=ポール・ベルモンド扮するフランスのチンピラ青年の、まあ、元の題にもある通り「息せききった」破滅の物語なのですが、ストーリーについてあれこれ言っても仕方がないし、チンピラ青年の人柄や行動、お相手のアメリカ娘との男女関係についてどうこういうのも気が引けます。ベルモンドの自在な演技も、ジーン・セバーグの重くて軽い、あるいは、遠くて近い存在感も誰かの口真似だしなあという感じです。映画についても、俳優についても、そして、まあ、監督についても語り尽されている作品です。 まあ、黙ってみるに如くはないと座ったのですが、脈絡や目的なんて何もない、ただ、ただ、「息せききった(A bout de souffle)」主人公の行動と発言の「リアル」が、あのころ20代だった青年の胸をえぐった記憶を呼び起こしながら、ボンヤリ座って見ていた老人を、今さらながら、じわじわ「リアル」に、揺さぶり始めたのです。 「うーん、なんだ、これは!?」 で、とどのつまりには「サイテー」という主人公の最後の言葉で、40年後の今になっても、日ごろは忘れていた性根か何かに触れて「異議なし!」と叫びそうになってしまう上に、「サイテーってなによ!」というジーン・セバーグの言葉に、冷や水を浴びせられたのようにオロっとしてしまう自分に驚くという、恐るべき映画でした。 もしも、この映画を、今、初めて見て、同じようなリアルを感じるのかどうか、それはわかりません。ただ、最後のセバーグの言葉への反応は今だからでしょうね。 今の若い人が、この映画をどう見るのかというのも気にかかりますが、40年後に、オロッとするとは、40年前の青年には思いもよらなかったことでした(笑)。 いやはや、ジャン=ポール・ベルモンドにもジーン・セバーグにも、あらためて拍手!ですね。はい、もちろん、ジャン=リュック・ゴダールに拍手!はいうまでもありませんん。 監督 ジャン=リュック・ゴダール 製作 ジョルジュ・ド・ボールガール 原案 フランソワ・トリュフォー 脚本 ジャン=リュック・ゴダール 撮影 ラウール・クタール 音楽 マルシャル・ソラル 監修 クロード・シャブロル キャスト ジャン=ポール・ベルモンド(ミシェル・ポワカールあるいはラズロ・コヴァックス) ジーン・セバーグ(パトリシア・フランキーニ) ダニエル・ブーランジェ(ヴィダル刑事) ジャン=ピエール・メルビル(作家パルヴュレスコ) アンリ=ジャック・ユエ(アントニオ・ベルッチ) ジャン=リュック・ゴダール(密告者) 1960年・90分・フランス 原題「A bout de souffle」 日本初公開1960年3月26日 2022・05・31・シネ・リーブル神戸no152 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.22 23:30:48
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