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原一男「水俣曼荼羅」元町映画館 待ちに待っていた原一雄監督の新作「水俣曼荼羅」を見ました。世間ずれしているぼくは、連日満員を恐れていたのですが、普通の月曜日の午後、上映がはじまった元町映画館は、いつもと同じのんびりした雰囲気の十人余りの観客が座っているだけで、拍子抜けしてしまいました。ジョニー・デップの「MINAMATA」に、思いのほかたくさんの人が集まっていたことで、何か勘違いしていたようです。
ボクにとって、原一雄は「さようならCP」(1972)、「極私的エロス・恋歌1974」(1974)、「ゆきゆきて、神軍」(1987)の映画監督です。 特に学生時代に自主上映会で見た最初の二つの映画は、当時、二十歳だったぼく自身の生き方や考え方を卓袱台返しのようにひっくり返した作品で、その影響は40年以上たった今でも、まあ、日々の生活の上での考え方はともかく、少なくともドキュメンタリー映画を観る時の物差しとして残っています。 その原一雄が、2004年から20年かけて水俣を撮ったというのです。これを見逃すわけにはいかないという思いで映画館にやってきました。 映画は「第1部 病像論を糾す」、「第2部 時の堆積」、「第3部 悶え神」の3部構成で、それぞれのあいだに休憩時間を挟んだ、ほぼ6時間の上映でした。 第1部で印象的だったのは患者認定制度の基準とされてきた「末梢神経説」を否定し、新たに「中枢神経説」を証明した熊大医学部・浴野教授の、あっけらかんとした孤立無援の爽やかです。 第2部では小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の痛快無比で、やがて哀しい「人間」としての正直さです。 第3部では、少女のままおばあさんになってしまった胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの明るさと、彼女の人恋しさを聞きただす原一雄監督の度胸と根性です。加えて、ひょっとしてと思っていたら、登場した石牟礼道子さんのよれよれの暮らしの姿と次の言葉でした。 悶え神、 実は、この言葉、彼女の著書の中でも出会うことのできる言葉で、第3部の題名を見て「ひょっとして彼女が出るのか!?」と思った理由なのですが、パーキンソン病の症状のまま、原一雄監督の「最近、許すということをおっしゃっていると聞いたのですが?」という、なんとも単刀直入な問いに対して、この言葉を語る姿に目を瞠りました。上記の引用はポスターからそのまま引用したものですが、映画の中で彼女が使うのは「加勢する」とという言葉を使っていたと思いますが、四方田犬彦がこの映画のホームページで使っていた「幽体」という言葉のままの姿の石牟礼道子の口から、その言葉が出た時には、さすがに涙がこぼれました。 私は、ドキュメンタリーを作ることの本義とは、「人間の感情を描くものである」と信じている。感情とは、喜怒哀楽、愛と憎しみであるが、感情を描くことで、それらの感情の中に私たちの自由を抑圧している体制のもつ非人間性や、権力側の非情さが露わになってくる。この作品において、私は極力、水俣病の患者である人たちや、その水俣病の解決のために戦っている人たちの感情のディティールを描くことに努めた。私自身が白黒をつけるという態度は極力避けたつもりだが、時に私が怒りをあらわにしたことがあるが、それは、まあ、愛嬌と思っていただきたい。 面白さの理由は、どうもこの辺りにあったようです。事件や歴史ではなく、人間そのものが映っていたのです。人間の喜びや悲しみ、ためらいや怒り、それは被害者の人たちだけではない、支援者、撮影者、そして、あろうことか権力の側の人々の姿も「人間」そのものの姿として、カメラは辛抱強く映し出しているのです。「水俣曼荼羅」とは、実にうまい題をつけたものです。それが地獄図であったとしても、地獄の木っ端役人たちが、まあ、腹立たしくも悲しいのですが、同じ人間としてリアルでなければ地獄のリアルは描けないのです。 コメント お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.16 21:01:28
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