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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
100days100bookcovers no79 79日目
幸田文「おとうと」(新潮文庫) DEGUTIさんが78日目、池内了の「物理学と神」を紹介されて、あっという間に三週間たってしまいました。語呂合わせで、すぐに思いついたのが養老孟司の「カミとヒトの解剖学」(ちくま学芸文庫)でした。 ちなみに、養老先生のご本は「ヒトの見方」「からだの見方」(それぞれ、ちくま文庫)から「唯脳論」(ちくま学芸文庫)、で、それらをまとめた趣の「カミとヒトの解剖学」(ちくま学芸文庫)、応用編の「身体の文学史」(新潮文庫)あたりまで、今でも面白いですね。最近では、亡くなった、ネコの「まる」の話や「虫」の話も書籍化されていますが、「考える人」(新潮社)に連載されていた「身体巡礼」・「骸骨巡礼」(ともに新潮文庫)が養老解剖学・身体論・歴史学の、最後のフィールドワークを思わせる好著だと思いました。写真も文章も素晴らしいと思います。 と、まあ、こんなふうに薀蓄を垂れるつもりだったのですが、「アメン父」(田中小実昌)から「神様」(川上弘美)、「物理学と神」(池内了)ときて、「ああ、またカミかよ!」と、ふと、気づいてしまった結果、「なんだかなあ…」という気分に襲われてしまって、とりあえず没にして、考え直しです。 で、思いついたのが幸田文「おとうと」(新潮文庫)というわけです。池内了って、池内兄弟の弟でしょ(笑)。 皆さんがよくご存知であるに違いない幸田文についてあれこれ言うのは、ちょっと気が引けますが、幸田露伴の娘、これまた名随筆「小石川の家」(講談社文庫)の青木玉の母で、その娘でエッセイスト(?)の青木菜緒が孫ということです。 幸田文は、一度は結婚したようですが、娘(たま)を連れて離婚し、父露伴の元で暮らしたひとです。1947年の父露伴の死後、父の身辺や自らの思い出を書いた随筆家として評判をとりますが、1955年「流れる」(新潮文庫)で新潮文学賞・芸術院賞を受け小説家として再デビューし、婦人公論に連載された「おとうと」(新潮文庫)は、小説としては2作目の作品のようです。 「げん」という女学校の学生とその三歳下の弟碧郎が、文筆家である父と、実母の死後、父が再婚した義理の母と暮らす日常が描かれている、おそらく作家の実生活をモデルに書かれたであろうと思われる作品です。 書き出しはこんな感じです。 太い川がながれている。川に沿って葉桜の土手が長く道をのべている。こまかい雨が川面にも桜の葉にも土手の砂利にも音もなく降りかかっている。ときどき川のほうから微かに風を吹き上げてくるので、雨と葉っぱは煽られて斜になるが、すぐ又まっすぐになる。ずっと見通すどてには点々と傘(からかさ)・洋傘(こうもり)が続いて、みな向こうむきに行く。朝はまだ早く、通学の学生と勤め人が村から町へ向けて出かけていくのである。(P5) 文庫版巻末の解説で、今となっては懐かしい文芸批評家、篠田一士が「思わず嘆声の出るような、素晴らしい描写である」と、ベタ褒めですが、続けてこんなことを言っています。 太い川が隅田川で、この土手が向島の土手でというような詮議はどうでもよろしい。いや、どうでもよろしいというよりも、読者にそういうことを決して許さないような文章の書き方がしてあるのだ。表面上は観察がよく行き届いたリアリスティックな描写をほどこしながら、その内側には、あえて童話的といってもいいほど、現実離れした、なつかしい情緒がなみなみと湛えられているのだ。だから、読者がもし現実還元したければ、わざわざ手元に東京地図など引き寄せる必要はなく、おのがじし、心の中に眠っているはずの、あの川や土手、さらに、あの四月の雨の朝の感覚を思い出せばいい。(P231) もう破格ですね。現在、どなたかの作品をこんなふうにほめることのできる批評家っているのかどうか、なんだか、幸せな時代を感じさせる批評です。 ぼくは、この作品を学生時代に読んで以来、その後、幸田文の作品群は評判に誘われてかなり読みました。で、結局そのなかで、この作品が一番好きです。 たとえば、上の引用の少し先はこんなふうな描写が続きます。 一町ほど先に、ことし中学に上がったばかりの弟が紺の制服の背中を見せて、これも早足にとっとと行く。新入生の少し長すぎる上著(うわぎ)へ、まだ手垢ずれていない白ズックの鞄吊りがはすにかかって、弟は傘なしで濡れている。腰のポケットへ手をつっこみ、上体をいくらか倒して、がむしゃらに歩いて行くのだが、その後ろ姿には、ねえさんにおいつかれちゃやりきれないと書いてある。げんはそれがなぜか承知している。弟は腹をたたているし癇癪お納めかねているし、そして情けなさを我慢して濡れて歩いているのだ。なまじっか姉になど優しくしてもらいたくないのだ。腹立ちっぽいものはかならずきかん気屋なのだ、きかん気のくせに弱虫に決まっている。― 碧郎のばかめ、おこらずになみに歩いて行け、と云いたいのだが、まさか大声を出すわけにもいかないから、その分大股にしてせっせと追いつこうとするのだが、弟はそれを知っていて、やけにぐいぐいと長ずぼんの脚をのばしている。げんも傘なしにひとしく濡れていた。だってそんなに急げば、たとえ傘はさしていても、まるでこちらから雨へつきあたって行くようなものだからだ。左手に持った教科書の包みも木綿の合羽の袖も、合羽からはみ出た袴の裾も、こまかい雨にじっとりと濡れていた。追いついて蛇の目を半分かけてやりたかった。(P6) いくらでも書き写すことができますが、これくらいにした方がいいでしょうね。ここまで、読みづらいスマホやPCの画面の文字を追って来てくれた人は、この後、どんなふうにこの少女が語り続けるのか、部屋のどこかの棚にこの文庫本はなかったのかと気がせくに違いないだろうというのがぼくの目論見ですが、そこは、まあ、人それぞれです。 ぼく自身は、今回読み直して、何故、一番好きだと思い込んでいたのか、その理由がはっきりわかりました。ぼくが「おとうと」だからですね。 篠田一士が「心の中に眠っているあの感覚」といっていますが、この作品は冒頭の数ページに限らず、読者自身の心の中に眠っている、懐かしくて、ちょっと哀しい感覚を掘り起こす力があるのではないでしょうか。 ところで、幸田文がこの作品を書いたのは、実は50歳を過ぎてからです。もしも、この作品が私小説的な実生活のモデル化の上に成り立っているとしても、30年以上も昔の出来事です。作品は、作家の記憶の世界というよりも、暮らした世界や家族に対する喜びや悲しみが作り出した作家の「こころの世界」の真実の描写だったのではないでしょうか。 ぼくには市川崑の映画のかすかな記憶がありますが、この作品を「原作」として何度も映像化されたことは、皆さんの方がよくご存じなのかもしれません。今回読み直してみて、なるほど、映像化したがる感じはよく分かるのですが、過去の記憶をたどって書いているはずなのですが、あくまでもシャキシャキとした文体で、だからこそでしょうか、どこから読んでも、ある懐かしさを喚起するのはやはり文章の力であって、そこを映像化するのは実はかなり難しいことではないかと感じました。 幸田文さん、読み直して損はないと思うのですが、いかがでしょう。 それではYAMAMOTOさん、次回よろしくね。2021・12・21・SIMAKUMAKUN 追記2024・05・04 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.08 21:28:03
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