カンテミール・バラーゴフ「戦争と女の顔」シネ・リーブル神戸 ベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチに「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫)というノンフィクションがあります。日本では小梅けいとさんによってマンガ化もされていますが、ロシアではカンテミール・バラーゴフという新鋭監督によって映画になったようです。
原作は、第2次世界大戦中、従軍し復員した女性兵士たちの長く哀しい戦後をルポルタージュした傑作です。映画が、ソビエト・ロシアの崩壊を経て、ようやく描かれた「戦後文学」、大祖国戦争(ソビエト・ロシアの解放戦争)批判の作品をどんなふうに描いているのか興味を感じて見に来ました。
小梅さんの「戦争は女の顔をしていない」(KADOIKAWA)は原作に忠実なマンガ化で、現在、第3巻が発売されていますが、誠実な力作です。 で、この映画です。原案という言葉通り、アレクシエービッチの原作から得たインスピレーションを映画で表現した作品で、原作の歴史的リアリズムを越えた迫力を実感しました。
第二次世界大戦、ソビエトふうに言うなら大祖国戦争に兵士として従軍し前線から復員した元女性兵士イーヤ(ビクトリア・ミロシニチェンコ)は幼い男の子パーシュカ(ティモフェイ・グラスコフ)を育てながら、傷痍軍人たちの治療に当たる病院で看護師として働いています。1945年のレニングラードが舞台です。
やがて、映画には彼女の戦友であり、男の子のパーシュカの実の母であるマーシャ(バシリサ・ペレリギナ)という女性が登場します。
イーヤはチラシの写真の女性です。金髪の美しい、美人ですが表情の動かない、並外れたノッポの女性です。マーシャは少し茶色がかった黒髪で、なぜか眼差しにウソを感じさせる美人です。裸になった彼女の下腹部には大きな傷跡があります。
第二次世界大戦のソビエトでは、50万人を超える女性兵士が従軍し、祖国防衛戦争を戦ったことは有名です。彼女たちは兵士として「英雄」ですが、女性としては最前線の男性兵士の慰安婦であったという偏見から、復員後、ひどい差別の対象であったことがスベトラーナ・アレクシエービッチの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代文庫)を読めばわかります。
この映画は、戦場の現実の中で、人間であることの条件を失ったり、奪われたりした二人の女性の悲劇を描いていました。
この上なく残酷で、哀切で、辛い展開の作品でした。映画の前半、イーヤは繰り返し襲ってくる意識喪失の発作の中で、そこまで可愛がっていた幼いパーシュカ少年を殺してしまいます。そこから映画は、原作の深部へと降りていくかのように、監督のインスピレーションの世界へと展開し始めるように感じました。
この映画には戦場のシーンは全く出てきません。まあ、戦後の話ではあるのですが、そこが俊逸だと思ったのですが、戦場を想起させるのは、今、目の前にいる、壊された人間であり、見捨てられた女性である二人の登場人物の姿と、病院にいる傷痍軍人たちだけです。
たとえばPTSDという言葉を、わかったふうに使う風潮があります。しかし、戦争や暴力や災害によって壊されてしまった人間も、また、生きていく他に方法がないという現実については、PTSDとい言葉や、現象についていくら勉強しからといっても、わかるわけではありません。
笑うことを失ったイーヤも、薄ら笑いで人を見るマーシャも、彼女たちが帰ってきた平和な世界からは、結局、見捨てられているのではないか、映画は、そう問いかけていました。
スベトラーナ・アレクシエービッチの原作が対比した「戦争」と「女の顔」を、「世界」と「女」の対比へと深化させてみせたカンテミール・バラーゴフという監督に拍手!ですね。これは、明らかに現代の映画でした。
で、やはり二人の女性、イーヤとマーシャを演じたビクトリア・ミロシニチェンコとバシリサ・ペレリギナに拍手!です。二人の表情のやり取りは、実にスリリングで、人間の意識の深層を、顔の表面、多分目の表情に浮かびあがらせながら、実は真相(本当のこと)と言いながら空虚なのではないか、空っぽなのではないか、という不安を感じさせる演技で、撮影技術だけではこうはいかないと感じさせてくれました。
まあ、それにしても。暗くて切ない映画でしたね。疲れました(笑)。
監督 カンテミール・バラーゴフ
製作 アレクサンドル・ロドニャンスキー セルゲイ・メルクモフ
原案 スベトラーナ・アレクシエービチ
脚本 カンテミール・バラーゴフ アレクサンドル・チェレホフ
撮影 クセニア・セレダ
音楽 エフゲニー・ガルペリン
キャスト
ビクトリア・ミロシニチェンコ(イーヤ)
バシリサ・ペレリギナ(マーシャ)
アンドレイ・バイコフ(ニコライ・イワノヴィッチ院長)
クセニヤ・クテポワ(リュボーフィ)
イーゴリ・シローコ(フサーシャ)
コンスタンチン・バラキレフ(ステパン)
ティモフェイ・グラスコフ(パーシュカ)
2019年・137分・PG12・ロシア
原題「Dylda」(ロシア語)「Beanpole」(英語)
2022・08・02・no96 シネ・リーブル神戸no162