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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2023.01.10
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​​大江健三郎「静かな生活」(「自選短編」岩波文庫)​​​ 大江健三郎「自選短編」という文庫本が、まだ食卓のテーブルの上にあります。市民図書館の本ですが、2022年の秋から、何度か借りだしを更新してここにあるわけです。2023年の年明けに思いがけない家族の死があって落ち着かない日々の深夜「静かな生活」という短編を読みました。​​​
​ 「静かな生活」と題されたが単行本が出版されたのは1990年くらいだったと思いますが、いまでは講談社文芸文庫で読むことができます。目次はこんな感じです。​
静かな生活
この惑星の棄て子
案内人(ストーカー)
自動人形の悪夢
小説の悲しみ
家としての日記
​ ​​​「雨の木を聴く女たち」とか、「新しい人よ目覚めよ」「河馬に嚙まれる」というような短編連作集が出た頃の一冊ですが、この「自選短編」という岩波文庫には、上の目次にある作品のうち「静かな生活」「案内人(ストーカー)」2作が所収されています。​​​
​ 読み終えたのは「静かな生活」という最初の作品です。文庫本で30ページ足らずの短い作品ですが、書き出しはこんな感じでした。​
 父がカリフォルニアの大学に居住作家(ライター・イン・レジデンス)として招かれ、事情があって母も同行するこのになった年のこと、出発が近づいて、家の食卓を囲んでではあるが、いつもよりあらたまった雰囲気の夕食をした。こういう時にも、家族に関するかぎり大切なことは冗談と綯いあわせてしか話せない父は、さきごろ成人となった私の結婚計画について、陽気な話題のようにあつかおうとした。私の方は、自分のことが話し合いの中心でも、子供の時からの性格があり、このところの習慣もあって、周りの発言に耳をかたむけているだけだ。それでもビールで一杯機嫌の父はメゲないで、
 ―ともかくも、最低の条件は提示してみてくれ、といった。
 もっとも、はじめから愛想のない返事を予期して、父はなかば閉口したような笑顔で見つめてくるのだ。つい私は時どき頭に浮かぶことをいってみる気になった。自分の声が妙なふうにキッパリ響くのを気にかけはしたけれど・・・・
 ― 私がお嫁に行くならね、イーヨーといっしょだから、すくなくとも2DKのアパートを手に入れられる人のところね。そこで静かな生活がしたい。​​(P642~643)​​
​​​​​​​ この引用中にも登場しますが、大江健三郎のこの時代の作品の中にはイーヨーと名付けられて、確固とした存在者として知能に障害のある青年が登場しますが、彼にはマーちゃんというと、オーちゃんというがいます。引用中の「私」は、その「マーちゃん」ですね。​​​​​​​
​​ 作家、大江健三郎が家族の一人を「語り手」にした小説を書き始めたということです。書き出しを読み始めたボクを捉えたのは、共に暮らしていて、すでに作品を読んで理解できる年齢の、それも娘を「語り手」に据えた作品を書く、作家大江意識、あるいは、覚悟ともいうべき内面の尋常ならぬ光景でした。​​
​「そんなことをして大丈夫なのだろうか?」​​
​ 焦点の定まらない危惧に促されるように読み進めると、こんな記述がありました。
 昨日の私の話には、自分自身失望した。なにもいわないよりもっとよくなかったと思う。神経が疲れているのでもあり、寂しくカランドウの場所に、ひとりで立っているという恐ろしい夢がはじまりそうになった。それというのも、まだ眼ざめている現実の意識が残って、そこにいりまじっている感じ。その悲しいような、はるかなような気分のなかで私は立ちすくんでいたのだ―自分の体がベッドに横たわっているのもよくわかっていたが。
 そのうち、夢の方へ入り込んでいる自分の斜めうしろに、もうひとり私と同じ気分の人が立っているのがわかった。ふりかえって見ないでも、それが「未来のイーヨー」なのだと私は知っていた。すぐにも斜めうしろから踏み出してくるはずの「未来のイーヨー」は花嫁の介添え人で、それならば自分は花嫁なのだ。しっかり花嫁の衣装を着た私が、花婿の心あたりはないまま「未来のイーヨー」を介添え人に寂しくカランドウの場所に立っている。そこはもう日暮れ方の、広大な野原。そのような夢を見た…。
 夜が更けてから眼をさまし思い出すうち、私はなによりも色濃く、夢の寂しい気持ちをブリかえらせてしまい、暗いなかのベッドに横になっていることができなくなった。私は階段を上がって行き、兄がトイレに通う際につまずかぬように常夜灯をつけて狭く開けてあるドアから、寝室に入っていったのだ。子供の頃いつもそうしていたように、なんとなく抱えていた使い古しの毛布で膝を覆うと、イーヨーのベッドの裾の床に座り込み、人間の肺の規模を越しているいるような音の寝息を聞いていた。小一時間もしてから兄は薄暗がりのなかでベッドから降りると、さっさとすぐ向いのトイレに出て行った。兄にまったく無視されたことで、私はあらためてもっと独りぼっちの気持ちになっていた。
 ところが大きい音を立てていつまでも排尿するようだったイーヨーは、そのうち戻ってくると、大きい犬が頭や鼻さきで飼主を小突いて確かめるように、体をかがめてこちらの肩のあたりを額で押しつけ、私の脇にやはり膝を立てて座り、そのまま眠るつもりのようだった。私は一度に幸福な気持ちになっていた。しばらくたつと、兄は分別ざかりの大人がおかしさを耐えているようなしゃべり方で、しかし声だけは澄んだ柔らかさの子ども声で、
​― マーちゃんは、どうしたのでしょう?といった。(P645~646) 
​ ​​​長々と引用しました。両親を困惑させてしまった「私」の発言に苦しむ私自身の心の描写、夢、そしてイーヨーとの、ほかの誰も、もちろん両親も知らないエピソードです。​​​
​ この後、小説は、両親が外国に滞在していた間に起こる、イーヨーをめぐる、実に小説的なというべき事件が物語られますが、読み終えたぼくには、この深夜のエピソードが、この作品のすべてでした。​
 この感想のために、冒頭の引用を書き写しながらのことですが、
​​そこで静かな生活がしたい。​​
​ この言葉を読み直しながら、不覚にも涙を流したのでした。引き金というか、同時に浮かんできたのがこ言葉です。
​​マーちゃんは、どうしたのでしょう?​​
​ ​​​​​​大江の作品で泣いたりしたのは初めてのような気がします。父親が娘を語り手にして、娘と息子のやり取りを小説として書くとは、一体どういうことなのだろうと読み始めたわけですが、ここまで、イーヨーを書き続けてきた大江だからできる離れ業なのでしょうね。
 ボクは小説の語り手「マーちゃん」の実在を信じますが、そうはいっても、小説というたくらみの向こうの世界のことなのですね。ありきたりなことを言いますが、大江健三郎という作家の凄さを実家させられた作品でした。
 冬の夜長のおともに、一度お読みになりませんか(笑)。
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最終更新日  2023.04.30 15:43:36
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