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カテゴリ:読書案内「昭和の文学」
北川扶生子「結核がつくる物語」(岩波書店) コロナの日々が始まって3年が過ぎました。この間、一応、人並み(?)にコロナ体験も済ませました。症状が思いのほか軽かったためもあって、家族や知人の親切を思い返す貴重な体験だったりしました。ほかには、外出にはマスクをするとか、帰宅すると手を洗うということが習慣化しましたがそんなもんだという気分になりつつあります。
もう一つは、日ごろ、なんとなくですが、関心を持って、まあその都度、図書館とかに出かけることになる項目に「感染症」とか「病気」とかが加わりました。 あれこれ読みましたが、福嶋亮大という文芸批評家の「感染症としての文学と哲学」(光文社新書)が、なかなか総覧的で便利だと思いました。そのうち案内しようと思っていますが、今日の案内はその本ではありません。 今回の「読書案内」は北川扶生子という近代文学の研究者の方のお書きになった「結核がつくる物語」(岩波書店)です。 本書は、まあ、いつものように大雑把に言えばですが、「結核」が「死に至る病」としてクローズ・アップされた1890年代(明治30年代)から、BCGの接種が一般的になった1950年代(昭和30年代)までの、結核をめぐる「言表の歴史」の批判的考察でした。言表というのは、まあ、言葉で表現されたくらいの意味です。文学も含みますが、新聞とか雑誌の記事として残されているものですね。 結核にかかわる文学表現といえば、すぐに思い浮かぶのが梶井基次郎、石川啄木、正岡子規の三人が、教科書三羽烏渡というわけで、著者が近代文学の研究者ということもあって、そのあたりが概観されるのだと思って読みはじめましたが違いました。 とりあえず、目次はこんな感じです。 目次 確かに「第3章 患者は特別なひと?―文学と結核には」では徳富蘆花「不如帰」に始まる近代結核文学が話題にはなっているのですが、この論考の狙いは、ボクが予想した「近代結核文学概観」とは別にありました。 スーザン・ソンタグが「隠喩としての病」(みすず書房)で結核をロマン主義文学の種となる「個別化」や「繊細な感受性」のシンボルとなったことを指摘したのは有名ですが、一方で、すでに批評家の柄谷行人が「日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)において堀辰雄や徳富蘆花のロマンティシズムを批判しているわけで、著者の意図は、その先でした。 「衛生的」とか「清潔」という、どちらかというとプラス価値の用語がありますが、その言葉が、いかに、「結核患者」というマイナス価値の人間存在を「排除」していったかを丹念にたどることで、著者がたどり着いたのは、排除された病者の雑誌「療養生活」の「まどゐ」という読者交流欄でした。 文学とかとは縁のない、ただの患者による「十五文字八行」以内の、今流にいえばツイート、つぶやきです。 昭和三年当時未だ学生の兄は夭折、昭和六年私発病続いて八年弟も亦、そうして今尚この九月には父は遂々不遇のまま。ナンテ泣言可笑(おかし)いです。(埼玉 しづ) 梶井基次郎の自意識も堀辰雄のロマンティシズムもありませんね。埼玉のしづさんの、今、生きていることを誰かに伝えるための投稿のようです。 著者は10年がかりで近代日本という社会から、あるいは文学という制度から「排除」され、その向こう側にいる人間の生の声にたどり着いたのです。 がんばっても、がんばらなくても未来はつねにどうなるかわからない。誰にとっても。保証はない。昨日までの自分と。今日の自分が同じでなくてもいい。自分のなかに、矛盾した自分が何人いてもいい。相手によってコロコロ変わるお調子者でも、まったくかまわない。どう転ぶかわからない今を生きるとき、世界は発見に満ちたものとしてあらわれる。(P185) 第7章 発信する、つながる、笑う―患者交流欄のしくみとはたらきに記されている著者自身の生の言葉です。本書はコロナ流行に乗じたご時世ご用達本ではありません。10年以上にわたって、図書館に通い文献資料を調べ尽くした労作です。 今を生きるとき、世界は発見に満ちたものとしてあらわれる。 心地の良い響きですね。いや、ホント、ご苦労様でした(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.09.28 09:50:16
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