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カテゴリ:映画 グルジア(ジョージア)の監督
オタール・イオセリアーニ「月の寵児たち」シネ・リーブル神戸 1本目に「唯一、ゲオルギア」というドキュメンタリー作品で見始めたオタール・イオセリアーニ映画祭ですが、
「いよいよ、ドラマ映画だ!」 と勢い込んでやって来たシネ・リーブルでしたがずっこけました(笑)。 観たのは「月の寵児たち」という1984年の作品で、日本では劇場初公開だそうです。 映画は、どこかのお屋敷でお皿が割れるシーンで始まりました。で、お皿が造られるシーンがあって、もちろん陶芸の職人たちによってですよ、で、どうも18世紀末に造られたらしいのその絵皿が、この映画の「主人公」であったらしいということに気づいたのは映画が終わった時でしたから、まあ、後の祭りです(笑)。 だって、お屋敷には美しい中年のマダムと、どうも警察方面の偉い人である夫や子供たちがいて、マダムが百一匹わんちゃんのお母さんみたいな犬を連れて、犬ごと自動車に、それも、まあ、見る人が見れば名だたる名車に違いない高級車に乗ってお出かけして、なぜか別の男と出来ているなんていうおはなしや、風采の上がらない、ちょっと禿げた男が朝目覚めると、なぜか隣に寝ていた奥さん(?)はお腹立ちで、とっととベッドを出ていってしまい、ベッドに忘れているブラジャーを 「あの、これ、いるでしょ。」 とか何とかいいながらバスルームに追いかける男を、またしても頭ごなしに罵倒して、お着替えをすませてお仕事に行くのですが、勤め先はなんだか高級な美容サロンだったりする話が続きます。男は男で、壊れた電気器具の修理屋さんのお仕事のようなのですが、またしても、なぜかなのですが、爆弾をつくって販売していたりするのも稼業のようで、取引相手として出てくるのが、アラブだかイスラムだかのテロリストだったりして、で、男が造った、また、別の爆弾が使われるのが町の広場の銅像破壊で、実行犯が、またまた、「なぜか」なのですが、怒って出て行った美容師の妻の、実家の父親だったりするんです。 もうちょっと付け加えると、マダムと紳士のお屋敷には、なんだか立派な絵がたくさん飾ってあるのですが、その中の一枚、裸の女性の肖像画(上の写真にちょっとだけ写っています)ですが、が、上に書いたお皿とともに、この映画の「主人公」であったらしいのですね。 お皿はやたらにわれて、絵はどんどんちいさくなるというのがこの映画のメイン・ストーリーなのでした。 ね、何をいっているのかわからないでしょ。自分でもわからないからずっこけたとしか言いようがないわけですが、困ったことに、たとえば、上の二組の男女は犯人関係者のカップルとK察関係者のカップルというふうに、なぜか繋がっている世界の断片のように映し出される一つ一つのシーンが、妙に「そそる」というか、気をひかれるのですね。 ちょっと、大上段ですが、映画という表現はモンタージュされた映像の連鎖にコンテクストを読みとることで成り立っていると思うのですが、この映画は、 「読み取れるものなら読み取ってみろよ」 とでも、いっているようでした。まあ、見ているこっちは、やけくそ気味な気分で 「絵皿と裸婦画の運命」 とかなんとか、無理やり分かった気になろうとしたわけですが、多分、間違っているでしょうね。重層性とかポリフォニーとかで説明する向きもあるようですが、それも、ちょっと違うと思いました。 ぼくの記憶に残ったのは窓と動物と乗り物、そして、上のような子どもたちのシーンですが、たとえば、このシーンに何の意味があるのかわからい訳で、とりとめがないですね。 まあ、浸っていたのに、急に放り出されたような気分で映画は終わりましたが、奥さんに逃げられた爆弾つくりの男のあわれに拍手!でした(笑)。 ああ、それから、「月の寵児たち」というのは、何か有名な詩の文句のようですね。始まりの頃に出てきますが、前後がどうだったかは忘れました。でも、ぼくが子どもシーンを気にしたのは、そこにひっぱられていたのかもしれませんね(笑)。 監督 オタール・イオセリアーニ 脚本 オタール・イオセリアーニ ジェラール・ブラッシュ 撮影 フィリップ・テアオディエール 音楽 ニコラ・ズラビシュビリ キャスト アリックス・ド・モンテギュ パスカル・オビエ ベルナール・エイゼンシッツ マチュー・アマルリック 1984年・101分・フランス・イタリア合作 原題「Les favoris de la lune」 2023・03・09-no034・シネ・リーブル神戸no177 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.20 22:38:31
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