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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2023.04.20
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​​内田百閒「冥途・旅順入城式」(旺文社文庫)
 久しぶりに、内田百閒のことを思い出したのは、松山巌「猫風船」(みすず書房)という作品集を読んだからです。猫つながりなら「ノラや」(中公文庫)なのですが、ああ、いうまでもありませんが「ノラや」「ノラや」ですごいですが、なぜか「冥途・旅順入城式」(旺文社・岩波、それぞれ文庫)です。​​​​​​​
 で、月に一度の集まりで続けている小説を読む会の課題に推すと、皆さんが
​「読む、読む。」​
 ということで、読むことになりましたが、集まって感想という段になると、皆さん投げ出したようで、まあ、困ったものなのですが、ただ一人読み終えてきた小説読みの達人​Mさん​がこうおっしゃいました。​​​​​​
​「この作品集を、一泊二日で一気読みするのは無理ですね。著者内田百閒自身が『旅順入城式』の序文で『余ハ前著「冥途」ヲ得ルニ十年ノ年月ヲ要シ』いっていますが、『冥途』は全部で18篇、ということは、1篇につき、ほぼ半年の日時を要したということですから、読むほうも、まあ、月に1作というくらいのテンポで読むのが妥当なんじゃないかと思います。皆さんが、忙しさの中で一気読みを目指したのは、そもそも間違いかもしれませんね(笑)。」​
​​​​​​​​ なるほど、至言!​ですね。で、まあ、「推し」の張本人ということもあって、読んではいたのですが、思いつきました。​
​じゃあ、書き写してみるという手もあるな。​
​ で、早速、書き写しました。ヒマなんですねえ(笑)。
​​冥途​​
 高い、大きな、暗い土手が、何処から何処へ行くのか解らない、静かに、冷たく夜の中を走つてゐる。その土手の下に、小屋掛けの一ぜんめし屋が一軒あった。カンテラの光が土手の黒い腹にうるんだ様な暈(かさ)を浮かしてゐる。私は一ぜんめし屋の白ら白らした腰掛に、腰を掛けてゐた。何も食つてはゐない。ただ何となく、人のなつかしさが身に沁むやうな心持でゐた。卓子(テーブル)の上にはなんにも乗つてゐなかつた。淋しい板の光が私の顔を冷たくする。
 私の隣の腰掛に、四五人一連れの客が、何か食つてゐた沈んだやうな声で、面白さうに話しあつて、時時静かに笑つた。その中の一人がこんな事を云つた。
「提燈をともして、お迎えをたてると云う程でもなし、なし。」
私はそれを空耳で聞いた。何の事だか解らないのだけれども、何故だか気にかかつて、聞き流してしまえないから考えてゐた。するとその内に、私はふと腹がたつて来た。私のことを云つたのらしい。振り向いてその男の方を見ようとしたけれども、どれが云つたのだかぼんやりしてゐて解らない。その時に、外(ほか)の声がまたかう云つた。大きな、響きのない声であつた。
「まあ仕方がない。あんなになるのも、こちらの所為だ」
 その声を聞いてから、また暫らくぼんやりしてゐた。すると私は、俄にほろりとして来て、涙が流れた。何といふ事もなく、ただ、今の自分が悲しくて堪らない。けれども私はつい思ひ出せさうな気がしながら、その悲しみの源を忘れてゐる。
 それから暫らくして、私は酢のかかつた人参葉を食ひ、どろどろした自然生(じねんじやう)の汁を飲んだ。隣の一連れもまた外の事を何だかいろいろ話し合つてゐる。さうして時時静かに笑ふ。さつきの大きな声をした人は五十餘りの年寄りである。その人丈が私の目に、影絵の様に映つてゐて、頻りに手真似などをして、連れの人に話しかけてゐるのが見える。けれども、そこに見えてゐながら、その様子が私には、はつきりしない。話してゐる事もよく解らない。さつき何か云つた時の様には聞こえない。
 時時土手の上を通るものがある。時をさした様に来て、ぢきに行つてしまふ。その時は、非常に淋しい影を射して身動き出来ない。みんな黙つてしまつて、隣の連れは抱き合ふ様に、身を寄せてゐる。私は、一人だから、手を組み合はせ、足を竦めて、ぢつとしてゐる。
通つてしまふと、隣りにまた、ぽつりぽつりと話し出す。けれども、矢張り、私には、様子も言葉もはつきりしない。しかし、しつとりとした、しめやかな団欒を私は羨ましく思ふ。​​
​ この辺りで、休憩です。書き写し始めたのはいいのですが、旧仮名遣いということもあって、なかなか手間がかかります。​
​​ 私の前に、障子が裏を向けて、閉(た)ててある。その障子の紙を、羽根の撚れた様になつて飛べないらしい蜂が、一匹、かさかさと上つて行く。その蜂だけが、私には、外の物よりも非常にはつきり見えた。
 隣りの一連れも、蜂を見たらしい。さつきの人が、蜂がゐると云つた。その声も、私には、はつきり聞こえた。それから、こんな事を云つた。
「それは、それは、大きな蜂だつた。熊ん蜂というふのだらう。この親指ぐらゐもあつた。」
 さう云つて、その人が親指をたてた。その親指が、また、はつきりと私に見えた。何だか見覚えのある様ななつかしさが、心の底から湧き出して、ぢつと見てゐる内に涙がにじんだ。
「ビードロの筒に入れて紙で目ばりをすると、蜂が筒の中を、上つたり下がつたりして唸る度に、目張りの紙が、オルガンの様に鳴つた」
 その声が次第に、はつきりして来るにつれて、私は何とも知れずなつかしさに堪えなくなつた。私は何物かにもたれ掛かる様な心で、その声を聞いてゐた。すると、その人がまたかう云った。
「それから己(おれ)の机にのせて眺めながら考えてゐると、子供が来て、くれくれとせがんだ。強情な子でね、云ひ出したら聞かない。己はつい腹を立てた。ビードロの筒を持つて縁側へ出たら庭石に日が照つてゐた。」
 私は、日のあたつてゐる舟の形をした庭石を、まざまざと見る様な気がした。
「石で微塵に毀れて、蜂が、その中から、浮き上がるやうに出て来た。ああ、その蜂は逃げてしまつたよ。大きな蜂だつた。ほんとに大きな蜂だつた。」
「お父様」と私は泣きながら呼んだ。
 けれども私の声は向うへ通じなかつたらしい。みんなが静かに起ち上がつて外へ出て行つた。​​
 この辺りで、もう一度休憩です。目がしょぼついてついていけません(笑)​
​​「さうだ、矢つ張りさうだ。」と思つて、私はその後を追はうとした。けれどもその一連れは、もうそのあたりには居なかつた。
そこいらを、うろうろ探してゐる内に、その連れの立つ時、「そろそろまた行かうか」と云つた父らしい人の声が、私の耳に浮いて出た。私は、その声を、もうさつきに聞いてゐたのである。
 月の星も見えない。空明りさへない暗闇の中に、土手の上だけ、ぼうと薄明かりが流れてゐる。さつきの一連れが、何時の間にか土手に上つて、その白んだ中を、ぼんやりした尾を引く様に行くのが見えた。私は、その中の父を、今一目見ようとしたけれども、もう四五人のすがたがうるん様に溶け合ってゐて、どれが父だか、解らなかつた。
 私は涙のこぼれ落ちる目を伏せた。黒い土手の腹に、私の姿がカンテラの光の影になつて大きく映つてゐる。私はその影を眺めながら、長い間泣いてゐた。それから土手を後にして、暗い畑の道へ帰つて来た。​​
 こうやって、まあ、題になっている「冥途」という作品を書き写してみましたが、「青空文庫」からのコピペを疑われる方もあろうかと思います。ボクも、まあ、そうしようと思ったわけですが、版権が、まだ、切れていないそうで、「青空文庫」にはありません。正真正銘書き写しです(笑)。
 18篇の中から「冥途」を選んだのは、「冥途」が、この掌編小説集の中でもとりわけ短かったからにすぎません。所収されている作品の中で、有名なのは「件(くだん)」とかですが、まあ、そちらは文庫本をお探しいただくとして、「冥途」の面白さはというと、写しながら思いましたが、
​​「私の姿がカンテラの光の影になつて大きく映つてゐる。私はその影を眺めながら、長い間泣いてゐた。」​​​
​ というようなところですね。この文章を書いている「私」を想定すれば、「私」が、少なくとも3人います。ドッペルゲンガーというのがありますが、芥川龍之介の作品にもあったような気がします。「私」を見ている「私」を書いている「私」ですね。
 この小説の場合は、描かれている場所そのものが、空想というか、妄想というか、夢の中というか、ですから、夢の中の夢的に入れ子式を繰り返せば、ある意味で、何人でも書けるわけですが、3人というところが肝なのでしょうかね。
​​ たとえば「淋しい板の光が私の顔を冷たくする」光景を見ている「私」のリアリティには、ちょっと、言葉を失いますね。​​
​​​「それから土手を後にして、暗い畑の道へ帰つて来た。」​​​
 ​と、小説は終わりますが、この人、どこに行っていて、どこに帰って来たんでしょう。
 まあ、そんなことをぼんやり考えこみますね。久々の読み返し、いや、筆写のおかげかもですが、すごい作品だと思いましたね(笑)。
 みなさん!残りの作品も是非!ですね。

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最終更新日  2024.10.15 01:51:05
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