|
カテゴリ:カテゴリ未分類
畑正憲「ムツゴロウの青春記」(文藝春秋・文春文庫) 2023年、だから今年の春のことですが、作家の大江健三郎の訃報に続けて、ムツゴロウさんこと、畑正憲が亡くなったニュースをネットで見つけました。
「大江とムツゴロウとなんのつながりがあるの?」 といぶかしむ方もおありかもしれませんが、実は、このお二人は、まあ、大江健三郎が1月生まれ、畑正憲が4月生まれなので学年は違うのですが、1935年生まれの同い年なのですね。 ボクは大江の作品にであう前に であった人が畑正憲でした。北杜夫に「どくとるマンボウ青春記」(新潮文庫・中公文庫)という大傑作がありますが、高校1年生のシマクマ君がはまったのは、まず、この作品で、その中に父親の斎藤茂吉の話も出てくるのですが、そのあたりは 「ああ、この人も、いやなオヤジで鬱屈してたんだ。」 という共感の理由にこそなれ、斎藤茂吉の偉さなんて歯牙にもかけない読み方で、マンボウさんの旧制松本高校での、オモシロカナシイ、チョーおバカな生活に、ただ、ただ、あこがれる青春読書だったわけですが、当然のことながら「青春記」という題名に惹かれていたおバカ高校生が、いわば、必然的に(笑い)出会ったのがムツゴロウさんのこの本だったわけです。 こんな書き出しでした。 初めてのラブレター マンボウさんの青春記にはないのが恋話ですが、ムツゴロウさんは、中学生だったころに経験なさっていたようで、のちに配偶者となる純子夫人との初恋話から青春記は始まっていて、この本を手に取った当時のシマクマ君は高校2年生だったわけですが、読んだ本のことをいちいち手紙にしたためて送り付けないではいられない憧れの対象がいたわけで、まあ、どんぴしゃりだったんでしょうね。 で、お二人の青春記の記述が高校生のシマクマ君にとっては羨望の対象、雲の上の話だったことは、まず、間違いないのですが、あこがれというの、それなりのパワー効果があるもので、それぞれの著者の読書体験の記述を鵜呑みにして、かなりむちゃくちゃな「読書案内」にしたことが、考えてみれば、その後の50年の本好きの暮らしの基礎というか、土台というかになったなあと、今になれば、しみじみと懐かしいわけです。 せっかくですから、それぞれ、お一人ずつ例を挙げれば、北杜夫の場合は、やはりトーマス・マンでした。それも、「魔の山」(岩波文庫)とか「ヴェニスに死す」という有名どころではなくて、望月市恵訳の「ブッデンブローグ家の人々」(岩波文庫全3冊)、実吉 捷郎訳の「トニオクレーゲル」(岩波文庫)でしたね。だって、マンボウさんがそれを読んだっておっしゃっているわけですからね(笑)。 で、この「~家の人々」は高校時代のシマクマ君にはシリーズ化していったわけで、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの黄色い本、「チボー家の人々」(白水社・全5巻)を経てドストエーフスキイの「カラマーゾフの兄弟」(岩波文庫・全4巻)へと進んでいって、終着駅は「楡家の人々(上・下)」(新潮文庫)だったりしたわけで、、所謂、一族ものへの執着は今でも続いています(笑)。 もう一度、今、この年になって考えてみればですが、どの作品も、もちろん、北杜夫のそれも、それぞれの作家の最高傑作といっていいわけで、高校生としては、なかなかな読書体験で、拍手してあげたくなりますね。 で、ムツゴロウさんですが、こちらの方も、博覧強記、乱読、多読の高校生活ぶりで、あれこれ大量の作品紹介が出てくるのですが、読書案内として忘れられないのが高木貞治という数学者の「解析概論」(岩波書店)という本でした。数学の世界では、かなりな名著らしいですが、500ページを超える大判の大著でしたが、但馬の田舎者だったシマクマ君は、この本を京都の河原町の駸々堂(たしか三条の手前あたりにあった)だかまで買いだしに行って手に入れたのでした。 繰り返し格闘したイメージはありますが、わかったという記憶はありません。自分が馬鹿だということをしみじみと実感させてくれた本でしたが、大学生1年生の時に、のちに都立大学のシステム工学だかの先生になった、高校時代からの友人が持って帰っていったことはよく覚えています。 ちなみに、1970年代の初めころ、この、売れるはずのない「解析概論」が妙に売り上げを伸ばしたことがあったそうで、不思議に思った編集者が調べてみると、「ムツゴロウの青春記」の影響であることが分かったとかいうことをどこかで読んだ気がしますが、まあ、世の中には同じようなおバカがいるものだとちょっと哀れな気分になった記憶がありますね(笑)。 考えてみれば、50年前の読書体験です。「ムツゴロウの青春記」は文藝春秋の単行本が本棚の隅にまだありました。ビニールのカヴァーがついた装丁で、案外、美しい状態ですが、中は黄ばんでいます。まあ、捨てられない本ですね。 まあ、ついでに言えば、「チボー家の人々」の単行本の全5巻は、マンガ家の高野文子さんが「黄色い本」(講談社・KCブックス)という漫画で描かれたあの本ですが、大学生になって教室で知り合った可憐な乙女が、下宿の部屋から持ち帰って以来消えてしまいましたが、20年ほど前に白水ブックの全13巻本で買い直し、今も並んでいます。ああ、それから、「解析概論」ですが、新版が出ていて、そっちは3000円を超えるようですが、ボクの買い込んだ版は古本で10円でした。 うーん、・・・・。 それにしても、その後もムツゴロウさん、マンボウさんにはお世話になりました。今回、この本をパラパラと読み返したのですが、今でも悪くないと思いました。お若い方たちには、もう古いのでしょうかね。まあ、読むべき本を探して目の前の本を読むなんていう読み方自体がもう古いのかもしれませんね。 大江健三郎といい、畑正憲といい、「時代を画した」というべき存在でした。一つの時代が終わりつつあることを実感する2023年の春が過ぎていきましたが、新しい時代の明るい光が差しているきざしは感じません。 「よくわかる」出来合いのスローガンを疑う反骨を育てるのが「よくわからない」読書体験だと思うのですが、皆さん、「よくわかる」がお好きなようですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.08 09:18:36
コメント(0) | コメントを書く |