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草野心平「宮沢賢治覚書」(講談社文芸文庫) 「銀河鉄道の父」という映画を見ました。宮沢賢治とその父政次郎、そして、彼の家族を描いた作品でした。で、帰って来て、なんとなく気になってさがしたのがこの本です。
草野心平の「宮沢賢治覚書」(講談社文芸文庫)です。 映画は1933年(昭和8年)に、わずか37歳で亡くなった宮沢賢治の臨終の場で、質屋・古着屋の篤実な主人であった父政次郎が息子である賢治の「最初の読者」であることを宣言するかのように「雨ニモマケズ」を朗唱するクライマックスで幕を閉じた印象でした。 で、そのシーンを見終えたあと、宮沢賢治が今のように「たくさんの読者」を得て世に知られることになったのは、文学的には無名といってよかった宮沢賢治の死の翌年に文圃堂というところから出版された『宮澤賢治全集・全3巻』(1934年 - 1935年)と、その原稿を引き継いで十字屋書店というところが出した『宮澤賢治全集・全6巻別巻1』(1939年 - 1944年)という二つの、まあ、普通ならあり得ない「全集」の出版事業によってであり、それを成し遂げた人物がいたことが頭に浮かびました。のちに「カエルの詩人」として親しまれることになる草野心平ですね。 東京から葬儀に駆け付けた、まだ若かった草野心平が、映画の中では洋風のトランクいっぱいに入っていたあの原稿を、実際に手に取って驚愕したことが、すべての始まりだったということがどこかに書いてあったはずだというのが気になった理由です。 で、見つけたのがこの文章でした。書かれたのは昭和33年(1958年)ですから、賢治の死後25年経って、当時のいきさつを思い出している草野心平の回想です。 宮沢賢治全集由来 いかがでしょうか。文中で高村さんと呼ばれているのは、もちろん、詩人で彫刻家の高村光太郎です。で、この後、出版社が途中で変わった事情や、賢治に対する、弟、宮沢清六をはじめとする遺族の情愛深く誠実な様子についても回想している文章の一部ですが、なによりも賢治の膨大な遺稿に出合った草野心平の率直な驚きの思い出が、ボクには記憶に残っていました。 本書は昭和10年代から20年代に書かれた、宮沢賢治の詩や童話、あるいは賢治の世界に対する評論を中心に編集されています。戦後、たくさんの宮沢賢治論が書かれていますが、始まりの1冊というべき論考群だとボクは思います。ちなみに目次はこんな感じです。 目次 この年になってしまったので「春と修羅における雲」なんていう綿密な論考は読みなおすのが骨でした。しかし、教室で子供たちと一緒に賢治を読まれるお仕事をされている若い人たちには読んでほしい1冊です。古い本ですが、宮沢賢治理解では欠かせない1冊だと思いますよ(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.06 12:54:27
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