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大江健三郎「『自分の木』の下で」(朝日文庫) 今年、2023年の年が明けたころ、3月にその死が伝えられる直前から、何とはなしに大江健三郎を読みなおし始めていましたが、その死を知って、実は、今まで読まなかった小説以外のエッセイに手を出して読んでいます。
今回の案内の「自分の木の下で」(朝日文庫)も2001年だったか、今世紀の初めころに、だから今から20年以上も昔のことですが、単行本が出ましたが、まったく関心を持ちませんでした。 ボクは、大江健三郎の真面目腐ったエッセイの文章は、一番最初に出合ったのは「厳粛な綱渡り」、「持続する志」、「鯨の死滅する日」(それぞれ、講談社文芸文庫)あたりの、くそ分厚い三部作でしたが、そのころから、ずっと、あまり好きではないのです。 それを、今読むというのは、1935年生まれの大江健三郎は、この本を書いた当時60代の半ばだったわけで、それから20年経って、ボクは当時の大江の年齢を越えました。で、自分が、どんな感想を持つのかという興味に惹かれて読みました。 長い作家生活の中で、初めて子供たちに向けて「文章」を書いていることが繰り返し書かれているエッセイ集でした。 最初の章の題は「どうして生きてきたのですか?」で、その中に印象的な文章がありました。 祖母について数多くある思い出の、後のほうのものですから、私は七、八歳だった、と思います。戦争の間のことです。祖母はフデという名前でした。そして私にだけ秘密を打ち明けるように、名前のとおり、自分はこの森のなかで起こったことを書きしるす役割で生まれて来た、といいました。もし、祖母が、帳面といっていたノートにそれを書いている、見たいものだ、と私は思いました。 この本の表題である「『自分の木』の下で」という、『自分の木』について、祖母のことばとして語られています。ここには、さわりを引用していますが、祖母は、子供たちが、自分の木の下で、時間を越えて年をとった自分と出会うことについてまで、大江少年に語った思い出が記されています。 大江健三郎の作品では、森と樹木が、単なるメタファーとしてではない重さで描かれていますが、ここで語られている祖母の話は作家の思想の芯のところにあることを思いうかべながら、この部分を読んだのですが、本書の最後の章の末尾に、こんな言葉で締めくくられています。 子供の私が、「自分の木」の下で会うかもしれない年をとった私に ― お祖母さんがその可能性もあるといったのですが ― 、あなたはどうして生きてきたのですか?とたずねようとしている場面です。別にだまし討ちを計画していたのじゃありません。 以前なら、この気真面目さに辟易していた可能性がありますが、今回のボクは、若い読者たちのこの言葉を贈る作家の気持ちに素直な共感を感じました。 というわけで、あまり読むことのなかったエッセイ集を、まあ、ボクも、そういう年になったよなという素直な気持ちというか、少し不思議な気分で読み終えることができたというわけで、ヨカッタ、ヨカッタ、ということです。 まあ、たとえば、素直な高校生や大学生の方が、この本を大江入門として読んで、彼の、たとえば、前期の作品群から取り掛かったりすると、チョット目を回してひっくり返ってしまうかもしれませんが、69歳の老人は、前期のオサライは、もう、済ませていますたから、、まあ、ここからが本番ですね。「燃え上がる緑の木」(新潮文庫・全3冊)という大作に取り掛かろうと思います。読み終えて、感想が案内できればいいですが、まあ、どうなることやらです。うまくいけば、またお読みいただければ嬉しいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.27 00:52:24
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