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岩合光昭「生きもののおきて」(ちくまプリマーブックス133) 岩合光昭の「虎」という写真集がおもしろくて、新たに図書館で借りだしてきたのが「生きもののおきて」(ちくまプリマ―ブックス133)でした。ちくまプリマ―ブックスというシリーズは2004年くらいだったでしょうか、ちくまプリマ―新書というシリーズの発刊とともに終刊になりましたが、もともとはちくま少年図書館というシリーズが1986年に100巻で終刊したのを受け継いでいて、中学校とか高校の図書館の棚には必ず並んでいたのですが、さて、今はどうのでしょうね。
高校生・中学生に任せておくのは惜しい内容の本がずらりとありましたが、今回は1999年に発行された、写真家岩合光昭の写真エッセイ(?)です。 古びた本ですが、ページを開くとこんな言葉に出合います。 ぼくは一九八二年八月から一九八四年三月までの一年半、家族(妻と当時四歳の娘)とともに、タンザニアのセレンゲティ国立公園に滞在した。そこは、日本人が抱くサバンナのイメージの、原風景のようなところだろうか。「セレンゲティ」とはマサイ族の言葉で「果てしなく続く平原」。(P7) で、ページを繰るとこの風景でした。 サバンナでは、 」読み終えて、この写真のページを広げて、キャプションを読み直しながら、本書を通じて、若き日の岩合光昭というカメラマンが「見ること」、「写すこと」によって育ててきた「視力」とは何か、「見る」とは何かという問いを、繰り返し問いかけ続けていたのだとようやく気付きました。 たくさんの面白いエピソードが記されていますが、まず思い浮かんでくるのがこの一節でした。 娘が小学校三年の時、オーストラリア・カンガルー島の牧場で九か月ほど住んだ。そのとき、ヒツジが日がな一日草を食んでいるので、ぼくは彼女に「ヒツジさんて、なに考えてるんだろうね」と尋ねた。すると娘は「草だよ。草しか見てないよ。」確かに動物は食べることしか考えていないに違いない。ぼくは思わず「深いな」と感心してしまった。(P120) で、続けて浮かんだのが、こちらです。 やはり娘が四歳のときのこと、チータがトムソンガゼルの幼獣を襲うのを目撃した。チータは三〇分とかからず、瞬く間にそれを食べて、後には骨と皮だけが、まるで抜け殻のように残った。ぼくは車を降りて、娘に「ほら、皮だけだよ。コムソンガゼルのお母さん、まだあそこで見てるよ。かわいそうだね。」彼女は「かわいそうだね。でもまた産みゃいいさ。」本書の最後の見開き写真です。草原のトムソンガゼルの母子でしょうか? セレンゲティは滅びず。 幼いお嬢さんの言葉に驚く、見ることのプロ!カメラマンの岩合光昭の様子が、とても印象的で、納得でした。アフリカの野生動物やオーストラリアのヒツジを見ているお嬢さんとお父さんの「見方」の違いが、わかった気になって世界を見ている自分に気づかせてくれます。 ナルホド!ナルホド! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.12 16:35:47
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