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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2023.07.16
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​​野上彌生子「森」(新潮社) ​​​​​読み終えたという、ただ、それだけで自慢したくなる作品というものがありますが、1885年5月6日に生まれ、1985年3月30日に亡くなった女流作家野上弥生子の遺作、「森」(新潮社)を読み終えました。ちょっと、自慢したい気分です(笑)。​​​​

​​​​​​​​​​ 100歳の誕生日を目前にした99歳の逝去ですが、あとに残されたのが、一般には完成間近と考えられているものの、500ページを越えて全15章の大作「森」の絶筆原稿だったわけです。
​​​​​​ 未完成とはいいながら、「秀吉と利休」(新潮文庫)「迷路」(岩波文庫)の作家の遺稿です。亡くなったその年、1985年のうちに新潮社から単行本として出版され、のちに文庫化されています。ボクが読んだのは昭和60年(1985年)に出版された単行本で、巻末に篠田一士の解説がついていました。​​​​​​​​​​​
​ 10年がかりの労作ということで、書き出しこんな様子ですが、80代の終わりの文章です。

第一章  入学
 ある日。
 中年のやせた洋服の男が、上野からの汽車にいっしょに乗った。銘仙の袷に緋繻子の帯をまだ貝の口ふうに締めた、身なりだけはまともでも一瞥(ひとめ)で田舎ものとわかる小娘をつれて王子で降りた。
 期日をはっきりさせれば、明治三十三年、そのころ流行語になりかけたハイカラなるいい方に従えば、一九〇〇年の春が四月にはいったばかりの午前であった。
 ふたりは飛鳥山の花見客でざわめきはじめている大通りをぬけ、裏のたんぼ道へでた。右も左も麦畑である。しっかりした株つきで列になって伸びた濃緑の厚ぼったい拡がりが、初々しい穂波で、青い入江のさざ波のように時おり白っぽく揺れた。ほとんど屈折なくつづく道は、人力車ならすれ違えないほどである。でも、そんなものには出逢わず、人通りもなかった。
 野菜畑は、隣に伸びた麦の背丈だけ陥没したような低い区劃になって、くろぐろとしている。菜の花畑もあらわれた。道ばたの池ともいえぬ水溜まりでは農婦がにんじんを洗っていた。土から抜いたばかりなのを藁のたわしでごしごしやって、しゃがんだ足もとの竹ざるに放りこむ。麗日といった、春だけがもつ言葉にぴったりのお天気であった。一羽の鳶(とんび)が、ほんとうは凧で、ぴいろろと鳴る笛の仕掛けがしてあるのを、どこかで誰かが上手にたぐっているかのように、うらうらとした空をいつまでも旋回した。田舎には生まれても町屋育ちの小娘には、学校の遠足ぐらいでしか眼にしない田舎風景は珍しかった。にんじんのところでは、薄紅いろの鼻緒の重ね草履でたちどまり、竹ざるのみずみずした朱のやまをのぞいたりした。
 でも正直なところは、この時の小娘の気持は、のびやかな外界とはおおよそかけ離れたものであった。これから入学しようとするのは一体どんな学校であろう。どんな先生たちや学生たちがいるのであろう。これらで胸いっぱいのうえに、どことも見当のつかない田舎につれて来られたのに驚いていたのである。(P7~P8)

 ​​​見事なものですとか何とか言えば落ち着くのですが、この文章を読み始めて、ボクがフト思い出したのはチッチキ人の祖母のことでした。
 もう、10年以上も前に80幾つで亡くなったのですが、寝たきりになった数年間、最初は、当時話題になっていた橋本治「窯変源氏」だったのですが、どうもそれでは飽き足らなかったと見えて「源氏物語」そのものを枕元に置いての日々を過ごしていたことです。
 彼女は昭和の始めころに、当時の女学校に通った人だったのですが、思い出が「源氏物語」だったようなのですね。当時、祖母がどんなふうに源氏を読んでいるのか不思議でしたが、本書の作家の書きぶりを眺めながら、どこか共通するものを感じたのです。​​​​

​​ 野上弥生子が女学校に通ったのは、日清戦争の直後、明治40年代、1900年ころのことですが、この小説「森」では、およそ80年の昔の記憶を種にして、青春時代の思い出を、自分自身の家族や友人にとどまらず、彼女が学校や街角で出合った無名の使用人たちの生活の素顔、空を飛ぶトンビの鳴き声、通りすがりの溝川で洗われている人参の赤い輝きにいたるまで、物語のリアルなシーンとして描き出されていきます。​​
 通った女学校で、現実に出合った人々だったとはいえ、歴史に名を遺した学者、詩人、画家などに至っては、その思想を幹としながらも、日々の生活の記憶から紡ぎだされたと思わせるそれぞれの人間の人柄を彷彿とさせる描写が、書いている人の脳内の過程の生々しさを思わせずにはいません。
​ 枝葉の記憶が物語のシーンとして描き出され、章を追うにしたがって巨大な「森」へと構築されていくのは、90歳を超えた作家の技の冴えの見事さというべきでしょうが、物語が、入学から3年後の卒業で終えられようとしながら絶筆となった最終章として書き残された断片がこれです。

 ​​こうして、後にして思えば思うほど奇妙な入学をした十六の菊池加根は、三年目に普通科を終えると、そのまま高等科に進むことを望んだ。それはもう三年の延長だ。いっぽう卒業を婚期と結びつける一般的な考え方からも、郷里の家ではかんたんには許しえないものでもあった。とにかく逢って、委しい話を聞いた上でのことにしよう。春の休みは暑中休暇ほど長くはないにしろ、長兄の本祝いが催される折から、加根の卒業もみんなから悦ばれるだろう。
 まだ山陽線などない頃で、瀬戸内海の船旅が運わるくしけたりで、神戸からの乗り換えに遅れると、東京までまたそれだけ遅れる、なんとも不便な往来に、暑中休暇に較べれば三分の一もない春休みまであえて帰ろうとしなかったのだ。しかし今度は異なっていた。加根の考え方からすれば、普通科の卒業なるものも、白いステージの階下のいままでの教室から、二階のそっくり同じ部屋へ移るのを意味するに外ならず、いよいよその資格を(註・以下欠)―未完―(P502~P503)

 ​​​​​作家の99年の生涯を支えてきた10代後半の体験の意味の大きさに目を瞠る思いで読み終えました。傑作とか、名作というような評価を越えた、とんでもない作品だと思いました。読み終えるには、結構、辛抱がいりますが、ぜひ、お読みください。自慢できますよ(笑)。​​​​
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最終更新日  2023.07.16 00:04:54
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