川上未映子「黄色い家」(中央公論新社)
第1章 再会
このさき、自分がどこで生きることになっても、何歳になっても、どうなっても、彼女のことを忘れることはないだろうと思っていた。
けれど今さっき、偶然に辿りついた小さなネット記事で彼女の名前を見るまで、そんなふうに思ったことはもちろん、彼女の名前も、存在も、一緒に過ごした時間も、そしてそこで自分たちがしたことも、なにもかも忘れていたこと気づかなかった。
吉川黄美子。
同姓同名かもしれないという考えが一瞬よぎったけれど、この記事に書かれているのがあの黄美子さんだということを、わたしは直感した。(P7)
読売新聞紙上に2021年7月24日から2022年10月20日まで連載された「黄色い家」(中央公論新社)という川上未映子の最新作の書き出しです。
語り手は伊藤花という40代の、独身の女性です。語り手の時間はコロナの蔓延する「現代」ですが、語られている出来事は、1990年代の終わり、所謂、20世紀の世紀末、東京の郊外の町で住所不定、無職だった、語り手である彼女の10代の終わりの生活です。
バーというのでしょうか、クラブというのでしょうか、ともかく、飲み屋の雇われホステスであるシングルマザーの母と小さなアパートで暮らす中学生だった伊藤花が、母の友人だった吉川黄美子という、当時40代だった女性と暮らし始めるところから物語は始まります。
「黄色い家」という題名は、その黄美子が自分の色として、まあ、縁起を担いでいた色を、黄実子にこころをつかまれ、一緒に暮らすようになった10代の伊藤花が引き継ぎ、部屋の調度から壁まで黄色く塗ったアパート、そこで二人が暮らし、やがて、加藤蘭、玉森桃子という同世代の女性たちとの共同生活の場になった住居からとられています。
世紀末から2000年という時代の中で、人が生きていくことを支えるのは「お金」であるという「現実」に「洗脳」されていく10代の、預金通帳さえ作ることができない境遇の少女の姿をテンポよく描き出した佳作だと思いました。
カードやネットによるお金の流通が当たり前になっている現代社会において、住所不定、保護者不在の未成年の女性が、いかにして犯罪者への道を歩むのかという、いかにも現代社会の最底辺の実態を描いたドキュメント・ノワールという趣で、読み始めると、やめられない、とまらない「かっぱえびせん本」でした。
他の、知らない作家であれば、これで終わりですが、「乳と卵」(文春文庫)、「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」(ちくま文庫)の川上未映子の仕事ということになると、もう一言ですね。
あくまでも、ボクにとってですが、川上未映子の面白さは「わかりにくさ」というところにあると思っていました。
「なに?これ?」
まあ、そういう感じが浮かんでくることに対する期待ですね。残念ながら、そういうニュアンスは、この作品にはありません。たとえば吉川黄美子という、いかにも、川上的興味をそそられる登場人物がいます。
「なに?この人?」
そういうイメージを、登場とともに抱かせる人なのですが、何故か、その人物について描かないというのが、この作品の特徴なのですね。伊藤花による「吉川黄美子」像だけでは、あまりにあやふやじゃないでしょうか。
「ヘヴン」(講談社文庫)あたりで、人気作家になったと思いますが、あのあたりからですかね。わからなさは影をひそめてしまったのは。
まあ、読みますけど、残念ですね(笑)。