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山里絹子「『米留組』と沖縄」(集英社新書) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。2022年4月の新刊です。西谷修の「私たちはどんな世界を生きているか」(講談社現代新書)という本の案内にも書きましたが、自分が生きているのが「どんな世界なのか」、その輪郭があやふやな気がして、まあ、ちょっとイラつているのですが、そのあたりの触覚に触れたのがこの本でした。
「『米留組』と沖縄」(集英社新書)です。著者の山里絹子という方は琉球大学の先生で、社会学者のようです。 書き出しあたりにこうあります。 戦勝連合国による日本の占領は、一九五一年のサンフランシスコ平和条約により終わったが、沖縄島を含む南西諸島は、日本から切り離され、アメリカ軍政による直接的な支配下に置かれた。 ここまでは、あやふやではあるのですが、ボクでも知っていることでした。しかし、その時代、初等、中等教育を終えた沖縄の若者たちにとって、高等教育・大学教育の機会はどのように保障されていたのかについて、何一つ知りませんでした。この文章をお読みの方で、この時代に少年期、青年期を本土で暮らした方でご存知の方はいらっしゃるでしょうか? まあ、1954年生まれのボク自身は1972年に18歳ですから、ぴったり重なるのですが、何も知りませんでした。 本書によれば、当時の沖縄の青年が高等教育を受ける方法は、本土の大学への留学、沖縄本島にアメリカ軍政府が設立した琉球大学への進学、そしてアメリカの大学への留学という三つの道があったようですが、もちろん知りませんでした。 本書の記述は、そのうちの というアメリカの大学への奨学生留学について、「米留組」と呼ばれてきた人たちに対する具体的な聞き取りによる、事例の考察を目的とした論考です。 読んでいて驚いたことは、現在も沖縄本島にある国立琉球大学が、アメリカ陸軍の占領統治資金で設置された占領地教育の大学であったこと。米国の大学への奨学生選抜が、占領地に対する思想統制、あるいは分断化を目的として行われていたことの二つです。 読み終えて、こころに残ったのは、二人の米留組のその後についての記述です。 一人は、太田昌秀さん、2017年に亡くなりましたが、1990年から2期、沖縄県知事を務めた方についての記述です。 太田さんは一九五四年に「米留」した第六期生だ。一九九〇年に沖縄県知事に就任し、一九九八年まで八年間の任期を務めた。 いかがでしょうか。で、もう一つは、著者山里絹子さんの父親である方についてのこんな記述です。
今や、老いた「米留組」の父と、自らもアメリカに学んだ娘の会話です。戦争をしかねない、愚かとしか言いようのない風が吹いています。沖縄の島々にミサイル基地を作るなどということが現実化しつつある時代です。歴史を知ることの意味を静かに、真面目に、考えることを訴える本でした。 著者のプロフィールと目次を載せておきます。 山里絹子(やまざと きぬこ)
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最終更新日
2023.09.04 08:48:00
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